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TORENDIA

新劇の大衆化

本文約570字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

新劇団体が脚本難を理由に西洋劇の翻訳に頼る現状を批判し、大衆化への道を論じる。翻訳劇は観客層を限定し俳優の演技を畸形化させる一方、現代的演技を身につけた実力ある俳優の存在こそが課題を解決すると主張する。実際の舞台上演例を挙げ、主題の普遍性と優れた俳優による演技が職業としての新劇を成立させ、同時に脚本難の解消にも繋がるという自身の持論を説く。

岸田國士

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商業劇場の口吻を真似て、所謂新劇団体が、なにかと云ふと脚本難を訴へてゐる。そして、とゞのつまり、西洋劇の翻訳といふことになる。「大物主義」で行くのが興行成績をあげる唯一の道だと思つてゐるからである。

×

勿論、書きなぐりの片々たる創作ものは、どういふ意味からも新劇を育てる力はないのだが、度々云はれてゐる通り、翻訳劇時代は一応過ぎたものと考へねばならぬ重大な理由が今日ほど明らかにされたことはない。第一に、従来あれほどの抱負をもつて続々上演された翻訳劇は、一方観客層を限定し、一方、俳優の演技を畸形化してしまつたのである。

×

ところが、最近、僕は若干の実例によつて、新劇は俳優がうまくなることによつて、先づ大衆化するものであり、同時に、俳優にその人を得さへすれば、脚本難は、たちどころにとまでは行くまいが、次第に解消されるものだといふ僕の持論を裏書きすることを得た。

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新協劇団所演の「北東の風」は、新劇として近頃誰がみても面白い芝居であつた。女子供を除いて、これなら新劇もみられるといふものになつてゐた。つまり、主題の普遍性、人物の類型ならざる典型、よく調べられた白などを二三の中心的な俳優が、殆ど完璧な「現代的演技」をもつて見物の前へ押し出してゐた。滝沢、小沢級の俳優が四五人もゐれば、新劇団は、立派に職業化し、しかも、脚本に事欠く筈はないのである。

完

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