本文へ移動
TORENDIA

幕間

本文約3,100字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

芝居の幕間に醸し出される劇場特有の空気を、筆者は社交機関としての性質や見物人の振る舞いから考察する。パリの劇場で見られる気品や即興的な楽しさと比較しつつ、日本の劇場における幕間の雰囲気を論じる。舞台と客席の密接な関係性に触れ、観客が無邪気に過ごせるような快朗性に満ちた空間を理想として提示する。そのうえで、劇場という環境への戸惑いから、芝居を観ることそのものへの葛藤と懸念を綴る。

岸田國士

速度
🎧 幕間 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 4

妙なことを云ふやうですが、僕は、芝居を観に行くたんびに、「劇場の空気」といひますか、あの幕間の数分間が醸しだす見物席乃至廊下の雰囲気を、そんなに有難いものだとは思はないのです。出来ることなら、たゞ一人、親しい連れでもあれば、その連れと二人でもいゝ、どこか、人も見えず、人にも見られないやうな一隅を見つけ出して、次の幕があくまで、今見たばかりの舞台を、もう一度静かに、頭の中で繰り返して見たい、さういふ慾望を制し得ないのです。

これは甚だ間違つた了見かも知れません。間違つた了見と云へば、僕は先年、イタリイの旅を終つてパリに帰つた時、印象はと聞かれて或る友人に答へた言葉が、「イタリイにイタリイ人がゐなかつたら、さぞよからう」

僕は、今、「芝居を観る処が劇場でなかつたら、さぞよからう」と、それほど皮肉なつもりもなく云ひ得るやうな気がします。

これは日本でも西洋でも同じことだと思ひますが、芝居小屋、即ち劇場といふ処は、或る意味で一つの社交機関と見做されてゐる。或ひは、いろいろの点から、流行のマニフェスタシヨン、ヴアニテエの相互満足が行はれる場所なのです。

美しい性のいはゆる「芝居行きのお化粧」はまあ別として、「処で、今度僕の方の会社ではね……」と云つた話の調子から、「昨夕の放送曲目は、なつちやいないぢやないか」などゝいふ物腰に至るまで、さては、「僕も読んだよ、一寸いゝ処があるね、あれならまあ褒めてやつてもいゝ」――「こゝの洋食は近頃うまくなつたよ。僕は認めてやるよ」

みんな、少しづゝ、上気せるんですね。

が、まあ、それもいゝとしませう。

どうせ、幕間が舞台より面白かつたりしては大変ですから。

尤も、幕間といふものが無ければ、芝居には来ない連中があるかもわからない。

それほどでなくとも、幕間なるものが無いとなると、自分が芝居を観に来てゐるといふことを、つひ忘れてしまふ連中があるかもわからない。少くとも、芝居を見に来たやうな気がしない連中があるかもわからない。

岸田國士の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本