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TORENDIA

「追憶」による追憶

本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

芥川竜之介の「追憶」に触発され、四ツ谷の幼稚園時代の軍服姿や百人一首の暗誦、原っぱでのブランコ、相撲観戦、画家の作業風景、あるいは熱海への家族旅行など、幼少期から少年時代にかけての断片的な記憶を綴る。また、兵隊になることを望んでいた父が実は多感な詩人であったという意外な発見や、当時の活動写真に対する原始的な驚きなど、自身の原風景を辿りながら、文学の芽生えと過去の追憶を描き出す随筆である。

岸田國士

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🎧 「追憶」による追憶 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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八月号で芥川竜之介氏の「追憶」といふ文章を読み、誰でも同じやうな追憶をもつてゐるものだといふことを知り、転た感慨を催した次第であるが、昨日、K社の山本氏に会ひ、たまたま芥川氏の近況を知ることを得た。それで本誌への責ふさぎかたがた、この一文を草することにした。病床にある同氏への御見舞ともなればこの上もない幸せである。

幼稚園

僕の通つた幼稚園は、四ツ谷の津の守坂にあつた。今はもうあるまいと思ふが、大きな椎の樹が遠くから見えた。椎の実が落ちる頃、僕はよく風邪を引いて休んだ。

僕のおやぢは、その頃陸軍の大尉だつたので、僕にも軍服をそのまま小さくしたやうな服を著せたものである。しかし、袖の筋は二本しかつけてくれなかつた。おやぢのは、いふまでもなく、三本だからである。

幼稚園への送り迎ひをしてくれた女中は、なかなかの才女で、僕に百人一首を暗誦させたのださうだ。

僕は、途中で一度うんこがしたくなつた。彼女は、顔をしかめてゐる僕に「柚の皮、柚の皮」と云つてお尻を叩けと教へた。小さな陸軍中尉は「柚の皮」を連呼しつつ、津の守坂を下つた。

ブランコ

その頃、僕の家は、塩町にあつた。だから、遊びに行くといへば、青山の原か、乳屋の原である。乳屋の原とは、今の荒木町一帯を指すらしく、その頃は不見転芸者などゐたかどうか、兎に角、牛がモーモー鳴いてゐたのである。その原にブランコがあつた。

そのブランコから落ちて、怪我をした時のことである。傍らで風船をついてゐた少女が、その風船を僕の額の傷口に押しあてて、なんとか優しいことを云つてくれたのを覚えてゐる。その少女は、たしか、染物屋の娘である。今はさぞいいお神さんになつてゐるだらう。

相撲

僕もよく相撲を見た。しかし、両国まで出かけて行つたことはめつたにないらしい。大方は招魂祭の余興相撲であつたらう。見物は軍人とその家族が、大部分であつたやうに覚えてゐる。梅ヶ谷が常陸山に負けて、べそをかいてゐた――と、僕はその時信じてゐた。負けても土俵の上に頑張つてゐて動かない、小緑といふヘンな男がゐた。

画家

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