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TORENDIA

演劇より文学を排除すべきか

本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

演劇と文学の関わりを巡る様々な逸話を記録する。モオリス・バレスやバルベエ・ドオルヴィリイといった著名な作家たちが、演劇という形式に対して抱いた拒絶や困惑、あるいは試行錯誤の軌跡を辿る。ボードレール、ポオ、ルナン、スタンダアル、フロオベエルらが劇作品と向き合った際の具体的なエピソードを挙げ、作家が演劇の舞台において辿った成功や失敗の事例を紹介し、文学者が演劇を制作することの複雑な実情を綴る。

岸田國士

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🎧 演劇より文学を排除すべきか / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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かういふ標題で、最近のヌウヴェル・リテレエルは、リュシアン・デカアヴの興味ある調査を掲げてゐる。別に結論らしい結論もないから、面白い「事実」だけを拾つてみる。

モオリス・バレスは一八八四年、「墨痕」といふ文芸雑誌を出したが、その創刊号に次の如き宣言を書いた。

「この雑誌は文芸雑誌であるから、滅多に演劇に関する記事は載せないつもりだ」

十年後、彼は、「議会の一日」といふ一幕物を書いてアントワアヌの自由劇場に持ち込んだ。ところで、この戯曲を単行本にして出す時、その序文で、彼は、再び戯曲に筆を染めるかどうかわからぬと告白し、ヴィニイが「舞台の芸術くらゐ狭い芸術はない。しかもあらゆる拘束を受けなければならぬ」と云つた言葉を引いて、それとなく芝居は苦手だといふ顔をして見せた。

シャトオブリヤンには、「モイズ」といふ詩劇があるが、一度も上演されなかつた。

バルベエ・ドオルヴィリイは、芝居に縁のない作家の一人であるが、戯曲のことをかう書いてゐる。

「乞食芸術である。誰彼となく手を差し出す――劇場主に、背景画家に、衣裳係に、俳優に……。そして、何れの時代に於ても、大衆の頭と同じ水準に自分をおくことにのみ汲々としてゐる。それは、大衆に支へられて生き、大衆に向つて呼びかけるものだからである」。彼はなほ云ふ。「人類の総ての愚劣さのなかにあつて、劇文学のみは最も結構な愚劣さなのだらうか」

大作家と呼ばれる人々のうちで、芝居に手をつけない人は少い。ラマルチィヌ、ミシュレ、テエヌ、などは芝居に関係がないらしい。

アミアンの図書館に保管されてあるボオドレエルの遺稿の中から、韻文劇「イデオルス或はマノエル」の草案が発見された。これは、プラロンといふ無名の協力者と合作をする筈だつたらしい。

三年前に、エドガア・ポオの未完成のドラマが、出版された。モルガン図書館で発見されたものである。断片的な草稿であるが、ポオの劇作家的天分を知らしめるといふほどのものではない。

ルナンも一時芝居に食指を動かしたことがある。一八八六年、ヴィクトオル・ユゴオの誕生日に、「千八百〇二年」と題する対話劇をコメディイ・フランセエズで上演させてゐる。

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