「由利旗江」を書いた頃の思出
本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
戯曲の執筆に専念していた著者が、突如舞い込んだ新聞連載小説の依頼を受け、初めて小説に取り組むまでの葛藤と苦闘を綴る。独自の新聞小説十戒を掲げ、登場人物を四人に絞るなど手探りで構想を練る様子を描く。執筆時の照れ臭さや、友人や批評家からの率直な反応、出版にまつわる自意識などが率直に記されており、この経験を経て通俗小説以外は書かないという自戒を貫くに至るまでの心境の変化と創作に対する姿勢を収める。
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戯曲を書きはじめてやつと二三年、小説といふものはたゞの一度も書いたことのない私に、いきなり新聞の連載小説を書けといふ注文なので、私は面喰つた。
実を云ふと、戯曲を書いて雑誌に発表するといふことが私にはなんだか不自然に思へてしかたがない時分であつたし、頭のなかは、「新しい演劇運動」のことでいつぱいで、月々雑誌にのる短篇小説もろくに目を通さず、まして、新聞の続き物などは、別に軽蔑してゞはないが、つい、拾い読みをしたこともないのである。
そこへ、なにかの間違ひではないかと思ふやうな注文である。よく考へてみると、これは多分、朝日新聞の気紛れであらうと思つた。なにか目先を変へてやらうといふ案に違ひない。先輩の誰かの推薦があつたかも知れない。こつちにはなんの用意もないが、稿料をとつて小説の手習をするやうな贅沢な真似ができるなら、ひとつ、やつてやらうかと心が一時はうごいたが、それにしても話が急すぎる。二た月では準備ができさうもない。せめて半月はゆつくり考へたい。そこで、さういふ風に断りを云ふと、それが聴き入れられた。何れまたといふことで、一年すぎ、忘れてゐた頃、また話がもちあがつた。別に用意が整つてゐたわけではないが、ともかく引受け、すぐに大変なことになつたと胸をおどらした。
新聞小説のお手本を少し読んでみようかと思つたが、それは一切やめた。自分勝手に新聞小説十戒をでつちあげ、それでわるければ勝手にしろと腹を決め、いよいよ構想にかゝつた。私は、戯曲に於ても、構成は甚だでたらめで、行きあたりばつたりを得意としてゐるから、筋といふものがまるで立たない。
主要人物を四人だけきめて、あとは、必要に応じて引つ張りだすことにした。モデルといふものは、原則として私は使はない。描かれてゐる人間がさぞいやな気がするだらうと思ふと、いくら神聖な動機でも、私には、それを押切る勇気がない。自分の仕事が、人間一人二人の感情を犠牲にしてもかまわぬだけの価値があらうとは思へぬからである。