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TORENDIA

地方文学の曙光

本文約7,600字 ・ 読了時間 約16分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の現代文学が苦難の時代に向き合う姿として、各地に根を下ろした「地方文学」の意義と展望を論じる評論。中央集権的な文学の在り方を問い直し、それぞれの土地の歴史や生活を基盤とした独自の文学活動の重要性を説く。さらに、既存の文学観や孤独な創作姿勢を批判的に検討し、地方文化運動と呼応しながら次代の文学を育むための土壌作りと、新たな地域精神の表現による文学の発展を提言する。

岸田國士

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一

日本は何処へ行つても日本だといふことを私は近頃ますます強く感じる。が、それと同時に、同じ日本でありながら、処によつてかうも違ふものかといふ印象を受ける場合がまた極めて多い。

お互日本人は誰でもさうだと思ふが、この二つのことを少しも矛盾として受けとらない。おそろしく違ふもののなかに、根本的に共通したものを自然に嗅ぎ分けることができる。

すべてがたゞ一つの目的に向はねばならぬ時代、小異を捨てて大同につけと云はれる時代に、ことさら地方々々の特殊性を云々するのも、さういふ自信のうへに立つてでなければなるまい。

さて、問題は文学に関してである。

本誌は私に「地方文学」について書けと命じるのだが、「何々文学」といふ名称を、私は概して好まぬから、少しばかり躊躇した。しかし、編輯者の意のあるところを汲めば、これは徒らな掛け声に終るべきものではなく、また、何ものかが為にするところあつて作つた名称でもないらしい。殊に、日本の現代文学が、この苦難の時代に雄々しく立ち向ふすがたの一つであるといふこともわかつた。

厳密な意味では「地方文学」と「地方主義文学」とを区別した方がいゝとは思ふが、さういふ詮議をするのはこの文章の目的ではないから、一応こゝでは、いはゆる「地方主義」の旗印を掲げても掲げなくても、たゞ、日本全国のそれぞれの地域に根をおろし、主調として「地方的」とみられる独自の性格を帯びた文学活動をすべて「地方文学」と呼ぶことにする。

それでは、「地方的」とはいつたい何を指すかといふと、これは、例の「地方文化」などといふ場合にも屡々疑義を生じたことでも明らかなやうに、元来、「地方」といふ言葉には二重の意味があり、「中央」或は「首都」に対して云ふ場合と、単に、ある限られた土地を指す場合とが、おのづから概念としての両端をなすので、この両者が時によると混乱したまゝ用ひられてゐるのである。つまり、「地方色」といふやうな意味の「地方」と、「地方分権」といふやうな意味の「地方」とが、不用意に口にされ、軽率に受けとられるからである。

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