本文へ移動
TORENDIA

文学のふるさと

本文約5,100字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

『赤頭巾』、『伊勢物語』、狂言などの物語を例に挙げ、モラルや教訓が欠落し、人を突き放すような構造を持つ文学作品を論じる。これらは生存が孕む絶対的な孤独を描き出しており、作者はそれを文学の原点たる「ふるさと」と定義する。道徳や社会的な意味づけを超越したこの「ふるさと」という自覚こそが、文学の建設的な精神や批評の根底に不可欠であると説く。

坂口安吾

速度
🎧 文学のふるさと / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 7

シャルル・ペロオの童話に「赤頭巾」という名高い話があります。既に御存じとは思いますが、荒筋を申上げますと、赤い頭巾をかぶっているので赤頭巾と呼ばれていた可愛い少女が、いつものように森のお婆さんを訪ねて行くと、狼がお婆さんに化けていて、赤頭巾をムシャムシャ食べてしまった、という話であります。まったく、ただ、それだけの話であります。

童話というものには大概教訓、モラル、というものが有るものですが、この童話には、それが全く欠けております。それで、その意味から、アモラルであるということで、仏蘭西では甚だ有名な童話であり、そういう引例の場合に、屡々引合いに出されるので知られております。

童話のみではありません。小説全体として見ても、いったい、モラルのない小説というのがあるでしょうか。小説家の立場としても、なにか、モラル、そういうものの意図がなくて、小説を書きつづける――そういうことが有り得ようとは、ちょっと、想像ができません。

ところが、ここに、凡そモラルというものが有って始めて成立つような童話の中に、全然モラルのない作品が存在する。しかも三百年もひきつづいてその生命を持ち、多くの子供や多くの大人の心の中に生きている――これは厳たる事実であります。

シャルル・ペロオといえば「サンドリヨン」とか「青髯」とか「眠りの森の少女」というような名高い童話を残していますが、私はまったくそれらの代表作と同様に、「赤頭巾」を愛読しました。

否、むしろ、「サンドリヨン」とか「青髯」を童話の世界で愛したとすれば、私はなにか大人の寒々とした心で「赤頭巾」のむごたらしい美しさを感じ、それに打たれたようでした。

愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐な少女が、森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。

私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。

坂口安吾の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本