私の祖父
本文約810字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
若くして亡くなった祖父の人物像を辿る随筆。幼い頃に聞かされた祖父の学問に対する情熱や、読書に没頭するあまり周囲が見えなくなるほどの逸話、自らの知識に対する自信の吐露などを通じて、会ったことのない祖父の面影を綴る。さらに、かつて家に山積みされていた漢籍が、家計の衰退とともに紙帳や壁紙として処分されてしまった経緯についても触れ、一人の知識人であった祖父の記憶を再構成する。
💰 この本を応援する(投げ銭)
私は、幼いころのお父さん、お母さん、おばあさんの思ひ出は、はつきりしてをります中に、おぢいさんといふ人を少しも知りません。おぢいさんとはいつても、まだ四十二で亡くなつたのですから、私の生れるずつと先のことです。
このおぢいさんは、大そうえらい人だつたと、私の子供のじぶん、誰彼にいひきかされました。
「なぜえらいのか。」
ときゝますと、
「大そう学問ができたから。」といふ返事をしてくれました。学問ができたからえらい、といふのでは、私は満足することができませんでした。
少し大きくなつてから、私は、こんなことをきかされました。おぢいさんは、どんなときにも、手から本をはなしたことがなかつた。外へ出るときにも、きつと本をふところへ入れてゐた。本をよまないときには、何かぢつと考へこんでゐた。考へ/\道を歩いてゐるうちに、一里も歩いてしまつて、気がついてみたら、とんでもないところへ来てゐた――こんな話をきかされたときは、おぢいさんつて変な人だなと思ひました。さういふのがえらいのかな、などとも考へました。
もう少し大きくなつてから、私はまたある人から、こんな話をきかされました。
おぢいさんは、あるとき、文字の話をしたとき、
「わしは、うそ字なら知らぬ。ほんとの字で知らぬ字は一字もない。」
といつたさうです。この話は、私をかんしんさせませんでした。
「なまいきなおぢいさんだな。」
とおもひました。
けれど、おぢいさんはまだ若くて死んだのだから、たまには、自慢もいつてみたのだらう、と後、大人になつてからは考へるやうになりました。
私が幼かつたころ、二階の間には塵づいた漢籍が、山のやうにつんであつたことをおぼえてゐます。それがおぢいさんの読んだ本の、十分の一にも足らないといふのにはおどろきました。おぢいさんが亡くなつてから間もなく、私の家はおちぶれてしまひました。おぢいさんが心をこめてよんだ本も、大方、紙帳や壁などに貼られてしまつたのださうです。
完