鱗雲
本文約20,700字 ・ 読了時間 約42分
あらすじ(AIが作成しました)
百足凧を題材に、語り手の幼少期の記憶と故郷での風習を回想する。かつて端午の節句に家々が競い合って揚げた巨大な凧の様子や、その凧に熱狂し空を追う人々を描く。語り手は、凧の所有者である青野の行方や、かつての熱情を懐かしみ、現実と記憶が混濁する中で深い追憶に耽る。本作は、過ぎ去った日々の情景と、凧に人生を賭した人々の狂気や情熱を、語り手の主観的な現在と過去を交錯させながら綴る。
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一
百足凧――これは私達の幼時には毎年見物させられた珍らしくもなかつた凧である。当時は、大なり小なり大概の家にはこの百足の姿に擬した凧が大切に保存されてゐた。私の生家にも前代から持ち伝へられたといふ三間ばかりの長さのある百足凧があつた。この大きさでは自慢にはならなかつた。小の部に属するものだつた。それだと云つても子供の慰み物ではない。子供などは手を触れることさへも許されなかつたのだ。端午の節句には三人の人手をかりて厳かな凧上げ式を挙行したものである。――因縁も伝説も迷信も、そして何として風習であつたのかといふことも私は、凧に就いては聞き洩したので今でも何らの知識はない。花々しい凧上げの日の記憶が、たゞ漠然と残つてゐるばかりである。それにしてもあれ程凄まじかつた伝来の流行が、今はもう全くの昔の夢になつたのかと思ふと若い私は可怪しな気がする。
「ほう! そんな凧が流行したことがあつたのかね、この辺で――」
故郷の同じ町にゐる私と同年の青年ですら、私が一寸した興味から詳しいことを知りたくなつて凧のことを訊ねたら、反つて私が法螺でも吹いてゐるんぢやないかといふ風に空々し気な眼を輝かせてゐた。「ほんの一部分の風習だつたのだらうね。それが子供の君の眼には世界中のお祭りのやうに映つたのさ。君の子供の頃まで、それ程にも未開な区域が残つてゐたのかねえ。」
「B村には僕の親類があつたのだが、あの村などは一層烈しかつたぜ。僕は祖母や母に伴れられて遥々と凧見物に出かけたものだ。」
「B村と云へば、あの村は中央電車鉄道に買収されて、電車道になつてしまつたな。」
「B村が!」と私は叫んだ。
「あれを知らないの? 今は家なんて一軒もあるまい。B村なんて名称も残つてゐるかどうか。」
「そんなことはない。吾家の知合ひの青野家はちやんとある。悴のFとは今でも僕は文通してゐるんだもの。」
「一軒位ゐはあるかも知れんな。」
「百足凧といふのは――」と私は、こゝで何やら感慨深さうに首を振つたが、煩瑣を忍んで、曖昧ながらにでも此方が凧の構造を説明しなければならなかつた。