竹本綾之助
本文約7,100字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
大阪に生まれ、七歳で義太夫の才を発揮した竹本綾之助は、天才的な美貌と語りの実力で若くして名声を博す。芸の師であり養母であるお勝とともに上京し、人形浄瑠璃の舞台で活躍する。やがて恋に落ちた男性と結婚し、義太夫の世界から引退する。家庭では三人の娘の母として、また妻として誇り高い生活を送る。大正七年、四十四歳を迎える彼女の半生をとおして、義太夫の精神や、芸人として、一人の女性として歩んだ波乱と幸福な軌跡を綴る伝記である。
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泰平三百年の徳川幕府の時代ほど、義理人情というものを道徳の第一においたことはない。忠の一字をおいては何事にも義理で処決した。武家にあっては武士道の義理、市井の人には世間の義理である。義理のためには親子の間の愛情も、恋人同士の迸しるような愛の奔流も抑圧してきた時代である。その人情の極致と破綻と、抑えつけられた胸の炎と、機微な、人間の道の錯誤を語りだしたのが義太夫節で、義太夫節は徳川時代でなければ、産れないもので他の時には出来ないものだ。というのは、武士道からきた道徳と、儒教からきた道徳と、東洋の宗教が教えた輪廻説の諦めとが、一つの纏められた思想が、その語りものの経の太い線になっている。その上に、義太夫節の生れた徳川氏の政府の最初に近い年代は、一面に長らく続いた戦国の殺伐で豪放な影がありながら、一面には世の中が何時も春の花の咲いているような、黄金が途上にもざくざく零れていれば、掘井戸のなかからも湧いて出るといったような、豪華な放縦な、人心の頽廃しかけた影も射しそめていた。その上に人斬り刀を横たえて武士は市民の上に立ち、金はあっても町人は、おなじ大空の月さえ遠慮して見なくてはならないほど頭があがらなかった。その時勢に、新江戸の土くさい田舎もののずぶとさと反撥力をもった、新開の土地などでは見られない現象を、古い伝統をもつ大都会、浪花の大阪の土地に見たのは当然の事であったろう。
経済都市大阪のぼんちは、酒と女の巷へ、やりどころのない我儘と、頭の廻らしようのない鬱憤を、放埒な心に育てて派手な場処へと、豪華を競いにいったが、家にかえれば道徳の人情責めと、いわゆる世間の義理とが、小むずかしく、光った頭のちょん髷と、背中を丸くして目を摺り赤めた老婆の涙が代表して待構えていた。そしてぼんちは強い刺戟に爛れた魂を、柔かい女の胸の中に、墓場に探ねあてて死んでいった。