麻酔剤
本文約4,600字 ・ 読了時間 約10分
あらすじ(AIが作成しました)
病院の助手を務める二十四歳の青年は、密かに愛し合う人妻の緊急手術の際、自ら麻酔を担当することになる。手術中、愛する人が譫語で二人の秘密を口走ることを恐れた青年は、彼女を黙らせようと焦るあまり、麻酔剤を過剰に投与してしまう。恋人の手で安らぎを得ようとした女性は、その誤った処置によって二度と目覚めることのない永遠の眠りにつき、青年は生涯消えない罪の意識を背負うことになる。
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「わたしなんか、麻酔剤をかけなければならぬような手術をうけるとしたら、知らないドクトルの手にはかかりたくありませんね」
と美くしいマダム・シャリニがいいだした。
「そんなときは、やっぱり恋人の手で麻酔らせて貰わなければね」
老ドクトルは、自分の職業のことが話題にのぼったので、遠慮して黙りこんでいたが、そのとき初めて首をふって、
「それは大変な考え違いですよ、マダム。そんなときは、滅多に恋人なんかの手にかかるもんじゃありません」
「何故ですの? 恋しい人が傍についていてくれたら、どんなに心強いかしれませんわ。そうした生命にもかかろうというときは、思念をすっかりその人の上に集めますと、精神の脱漏を防ぐことが出来ますからね。恋人の眼でじっと見つめられながら麻酔に陥ちてゆくなんて、どんなにいい気持でしょう。それから、意識にかえるときの嬉しい心持を思っても御覧なさい。『覚醒』の嬉しさをね……」
「ところが麻酔の醒め際なんか、そんな詩的なものじゃありません」ドクトルは笑いながら、「麻酔からの醒め際は厭な気持のするもので、そのときの患者の顔といったら、見られたもんじゃありません。どんな美人だって恋人から愛想をつかされるにきまっています」
といったが、暫く押黙ったあとでつけ加えた。
「そればかりでなく、迂闊に恋人なんかの手にかかると、頗る危険なのは、覚醒しないでそれっきりになることがあります」
これには皆が反対説を唱えだしたので、ドクトルも後へ退けなくなってしまった。
「そんなら、私の説を証拠立てるために、皆さんにごく旧いお話を一つお聴きに入れよう。実は、私がその悲劇の主人公なんですがね、今はお話したって誰に迷惑のかかる気づかいもありません。というのは、関係者がみな死んでしもうて、生き残っているのは私独りなのです。但し関係者の姓名は秘しておきますから、皆さんが墓場をお探しになっても無駄ですよ。
私は今は七十の声がかかって、御覧のとおりの老ぼれなんだが、その時分は二十四になったばかりで、若い盛りでした。