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TORENDIA

昔のことなど

本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

竹内栖鳳の門下生である上村松園が、自身の師との思い出を綴る。厳格な幸野楳嶺塾時代に異端として切磋琢磨した若き日の栖鳳の姿や、博覧会への出品を機に師事した御池の画室での修行風景、さらに師の創作姿勢や日常生活の情景を回想する。また、師の歩き方や仕草まで自然と似ていく門弟の様子を通し、師弟関係の本質や、師の模倣から始めるべき画道の修業のあり方について自身の考えを論じる。

上村松園

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🎧 昔のことなど / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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最近年の栖鳳先生はずっと湯河原にお出でになられたものですから滅多にお会いする機会もなくなり、何彼と先生のことを思い出そうとしますとどうしてもずっと古いことがあれこれと思い浮かばせられます。

栖鳳先生のことで一番古い記憶は私の十六、七のまだ松年先生の塾に居た頃の思い出のようです。その頃如雲社の新年大会が毎年一月十一日に円山公園で開かれていましたが、私も社中の人達につらなって見に行ったことがあります。この会は京都の各派の先生方からお弟子さん達まで一丸とした会で、殊に新年大会には皆きばって出品され、階上も階下も一杯掛け並べられるという盛況でした。その頃松年塾は斎藤松洲という人が塾頭でしたが、大会の翌日塾で皆が寄合って出品画の噂に花が咲いてるのを聞いていますと、塾頭が「若い者のうちではやっぱり棲鳳氏が一番うまいなア」ということでした。将来恐るべき大天才とその頃松洲氏が喝破したのはえらいと思います。

その時の先生の御出品は「枯木に猿」か何かで私にも記憶がありますが、その頃から先生は若い人達の間に嘱望されていられました。

楳嶺先生の塾に私は二年ばかり御厄介になったのですが、その頃の楳嶺塾では芳文・棲鳳・香の三先生が年輩もそこそこですし気も合っていられて、競争のように勉強していられたようです。そのお三人のお姿がちっとも塾に見えないことがありまして、どうしたことかしらと思って居りましたら、鳥渡この頃破門でということでした。どうした事情かちっとも知りませんが、丁度私が東京の美術協会の出品で琴と笛の合奏してる絵が仕上ったのを見て頂きに楳嶺先生のお宅へ伺いますとお三人で揃って来ていられまして、皆さんの前で私の絵を見て下さったのです。何でも暫くお出入りをとめられていられたのが、丁度楳嶺先生が帝室技芸員になられて近くお祝をしようということになり、こんな芽出度い折りに塾の先輩が揃わぬのはいかぬというので、高谷簡堂などという楳嶺先生と親しい方が間に入られて仲裁なさったので、丁度その時お揃いで御挨拶に来ていられた所だったのでした。(明治二十六年)

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