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TORENDIA

吾が愛誦句

本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

東京日本橋の寺子屋式の小学校で幼少期を過ごした著者が、書き初めで教わった句「百尺竿頭更一歩進」を題材に、当時の学校生活の情景と、その句が自身の思考の根底として深く根付いていく過程を綴る。物事の頂点に達してもさらなる進歩を求めるべきという教えは、蝉取りや釣りといった幼い日々の体験と結びつき、大人になった今の自分を形成するかけがえのない精神的な支柱として、いつわりのない個人の内面を静かに描き出す。

長谷川時雨

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🎧 吾が愛誦句 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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六歳のをり、寺小屋式の小學校へはいりまして、その年の暮か、または一二年たつてかのお席書きに、「南山壽」といふのを覺えました。だが、この欄に書かうと思ひますのは、それよりもまた一年位たつてから書きました、

百尺竿頭更一歩進

といふのでございます。これは、わたくしが、物を覺え、よく記憶したはじめての句だといつてもよいかと思ひます。字句の置きかたは、今まであまり心にしてゐなかつたので違つてゐるかもしれませんが、お席書きの字數が長くなつたからばかりでなく、先生からその字句の意味を口授されたのが、どこか頭にのこつてゐたのだ、と思ひます。

先生はかういひました。これは、棹がだんだん長くなつてゆくのだ。繼棹だと思つてもいい。ともかく、その棹のさきへきたらば、またそのさきへ一足でも進んでゆくことだ。いいか、棹が百尺あつて、その百尺だけあるいて、ああもうこれでいいと思つたのではいけない、そのさきへ、一足でも出てゆくのだよ――と。

わたくしの生れ育つた場所は、東京日本橋區内の中央でした。その横町に、小さい、甚だ振はない、尋常代用小學校があり、校長と、教師が一人、あとは校長さんのお母さんが習字や裁縫を、求める人にだけ教へてをりました。いはば家族的な、私塾のやうなもので先生も兒童ものんきでしたから、初春に、學校と、自分の宅へと張り飾る大字を、席書きといつて年末に書くのでした。十二月一月は、月の初めから、ほかの學課はなく、その習字の稽古と、お墨摺りで日をおくつて樂しんでをりました。

子供といふものはをかしなものです。夏の日、蝉をとつてゐても、その棹の頭を見ると、ふと、

百尺竿頭更一歩進

といふ句がうかび出すのです。今日のやうに樂しい郊外散歩などがない時分、父につれられて、本所や向島の釣り堀にゆきますと、わたくしなどの棹のさきへは、赤とんぼがとまつてゐて動きません。それを見てゐるうちに、ふと、思ひうかべるのは、例の

百尺竿頭更一歩進

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