小説のことなど
本文約7,300字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
モオリアックの小説論や作品を読み、自身の創作姿勢を省察する。私小説という慣れ親しんだ形式の限界や、人間を創造することの難しさを痛感する中、作家が自らを棄てて客観的な世界を構築することの重要性を考察する。また、自身の過去作における人物描写や手法の試行錯誤を振り返りつつ、論理的な構成と不確かな生の混沌を描こうとする二つの欲求の間で葛藤する作家の苦悩と展望を綴る。
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この頃私は逢ふ人ごとにモオリアックの小説論の話をしてゐる位だ。
私はつい最近、彼の小説論を二册ばかりと、「癩者への接吻」といふ小説を一つ、立て續けに讀んだところなのだ。彼の小説論は、勿論本格小説論だが、讀んですこぶる啓發されるところがあつたし、小説の方は彼としてはかなり初期のものらしいが大へん氣に入つた。これこそこの頃私の一番讀みたいと思つてゐた小説であるやうな氣がした。この作以來、モオリアックはいい小説をだいぶ書いてゐるやうであるから、この夏でも出來るだけ多く讀んで見たいと思つてゐる。
さて、モオリアックの小説論だが、早速その一節を引用して見る。
「十八歳の少年は、彼が人生について知つてゐるもの、即ち彼自身の欲望、彼自身の幻滅をもつてしか本を書くことは出來ない。彼は自分でその殼を破つたばかりの卵を描くことしか出來ない。概して、彼は他人を觀察しようといふ考へが起るにはあまりに彼自身に夢中になりすぎてゐる。われわれの中に小説家が形態を具へ出すのは、われわれがわれわれ自身の心情からわれわれを引き離し得るやうになつてからである。」「自分自身の物語を語る作家」がかうも簡單に子供扱ひにされてゐるのは少々不滿だとは云へ、これは今日の私達には、適切な忠告を與へてくれた言葉である。――以上の一節は、去年あたり書かれたらしい「作家と作中人物」といふエッセイの方から引用したが、その同じエッセイのずつと先きの方で、モオリアックは又、かうも言つてゐる。