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TORENDIA

歩くこと

本文約6,600字 ・ 読了時間 約14分

あらすじ(AIが作成しました)

心身が疲弊し混乱したときに本能的に歩くという行為を通じて、日常的な重圧から解放され、自己の感受性を回復させる過程を綴る随筆。自然や人々の営みに触れながら歩き、時には旅をすることで、抱えていた問題の本質を整理し、自らの立ち位置を再確認する体験を説く。また、歴史上の先人たちも歩くことで思索を深めた事実に触れ、歩くことが自己の再生のみならず、分断された人々を横につなぐ重要な役割を果たすことを論じる。

三好十郎

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🎧 歩くこと / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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自分の頭が混乱したり[#「混乱したり」は底本では「混乱たしり」]、気持がよわくなったり、心が疲れたりしたときには、私はよく歩きに出かけます。

それはたいがいのばあい、そういう自分の状態をなおそうとハッキリ思ってすることではなく、本能的にすることです。ほとんど無意識のうちに私は立ちあがり、かんたんな身支度をして家を出て、外を歩いています。それはまず、私が外気の中にいることが好きなこと、風景を見ることが好きなこと、知らない人びとの姿や顔を眺めることが好きなことなどのせいもあるらしいが、それだけではないようです。また、ふつうの言う意味の散歩ともすこしちがいます。

まず、いちばん最初にくるのは、それまで自分をしばっていたいろいろのキズナからときはなれた感じです。かならずしも家または家族とのキズナだけでなく、自分の仕事や、その仕事の継続、私的なまた公的な人間関係、それからいっさいの社会的な関係のキズナからときはなれた感じ。それが切れてしまったとは思えないが、すっと長く伸ばされ、やわらかい、自由なものになったような気がするのです。そして、そのようなキズナにつきまとっている重量感が消えて、いっとき気楽になったような気がする。自分が自分からぬけだしてきた感じとでもいうか。つまり自分がそれまでにしてきた、そして現に持っている気苦労だとか、努力だとか、思索だとか、論理的な追求だとかを、自分の机の上などに置きざりにしてぬけだしてきたといったような実感です。

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