日記より
本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
荻窪署に一年間留置されている、キリスト教の教えに基づき召集を拒絶した長男とその一家の出来事を綴る。信仰を絶対視し、軍法会議や刑罰を恐れない狂信的な姿勢に対し、著者は軽蔑や疑念を抱きつつも、自身の理念を貫くその生き方に強い衝撃を受ける。本作は、宗教やイデオロギーが極限まで追求された際に現れる狂信の姿と、それらが現世を動かす力を持つという矛盾を問い、人間が自らの信じるもののために何になれるのかを深く省察する。
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佐々木の奥さんから昨日聞いたことで、ひどく自分を打った話がある。
佐々木と同じ荻窪署に、既に丸一年間も留置されている一家四人の家族がいるが、それが、先日聞いた(彼女が)所に依ると、その一家はカチカチのキリスト教徒であるが、その家の長男は特に狂信に近い男で、かねて軍籍が有ったが、一年前、召集を受けたら、その男は「自分はキリスト信者であり、キリストの教えに依れば、人を殺す勿れとあるから、自分は出征して人を殺すことは出来ないから」と言って、軍服を抱えて軍隊に返しに行った由。勿論、当人は直ぐに軍法会議にかけられているし、そして、その一家もその様な長男を出したことが怪しからんと言うので家族全部が留置され取調べられているとのこと。
キリスト教には、なるほどバイブルの中に「汝殺す勿れ」とある。だからバイブルを文字通り信じ、神及び天国をそのまま信じていれば、なるほどそうなるのであろう。自分には或る意味では、それほど文字通りにバイブルの文句を信じると言う事が少し滑稽に感じられるし、又そんな人間の心理状態は理解出来ない。同時に、そんな男が、バイブル自身の裡にある諸矛盾をどんな風に調和させて受取っているのかも、自分にはわからない。何か非常に浅薄な、反省力や理解力の不足した人間があって、それが或る全く動物的な大きな動機から宗教に入れば、そんな風になるのかとも思う。自分がこの話から打たれたのは、そんなことでは無い。事の是非善悪でも無い。まちがっているとしても、その男ほどに「なり切って」いれば、そこには最早なんの問題も無いのではないかという言う点だ。既に「神」が彼にとって絶対であり、至上であり、全である。そのためには、自分などはいつ死んでもよいのであろう。そのために死ぬことは彼にとって、絶大なよろこびであろう。ましていわんや死よりも小さい此の世の刑罰や苦しみは彼にはなんの事をも意味しないであろう。彼を裁くことは出来る。そして現世にとって彼を裁くことは必要であろう。しかし結局に於て、彼の主観に於いて、そんなものはなんであろう。