乱歩氏の諸作
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あらすじ(AIが作成しました)
江戸川乱歩の作品である「悪夢」と「孤島の鬼」を論じる評論。著者は、怪異な想像力で変態的な題材を描く乱歩の作風に対し、説明的な文章が冗長で新鮮味に欠けると指摘する。また、常に異常な対象へ向かう想像力の偏りを批判し、健康なものの中にこそ神秘を見出すべきだと提言する。さらに、大仏次郎とともに探偵小説や大衆小説へ芸術性を持ち込もうとする両氏の試みが、既存の芸術小説の枠組みにとどまっている点を考察する。
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江戸川乱歩氏の作を『新青年』所載「悪夢」と「孤島の鬼」と二つ読んだ。
「悪夢」は氏の旧作「白昼夢」などとともにグロテスクをねらった作品である。四肢も耳も口もつぶれて、肉塊のような存在となっている廃中尉とその細君との変態的性生活を描いたものである。江戸川氏の想像力の怪異さはある意味で、世界の文学にも類例のない程のもので、この作品でも、そういう人間を性的享楽の対象に考えだしたいうことは私たちを驚嘆させる。
それにもかかわらず氏の筆には新鮮味が甚だ乏しく、常識的といってもよい程な生温い、説明的な文章である。だからこの作者の作品には詩がありそうでかえって詩がないのである。だからどんな途方もない想像をもってきても、読者を吃驚させるような強さがなくて、これでもか、これでもかとおさえつけている間に、下手をすると作者の方がくたびれてしまうのである。だから表現が冗長になって、作者の想像力の効果を、その常識的な、説明的な文章の力で相殺してしまうのである。
次に、これは是非もないことかもしれぬが、作者の想像力が、常に変態的な、異常なものにのみ向けられることに対して私たちは不満を感ずるのである。もっと常態な、健康なものの中に神秘を見出だすという方面へ氏の努力が転向されたなら、氏の想像力はもっと効果のある作品を生みだすに相違ない。多くの場合氏は、自分で想像したもののあまりの異様さに自分自身が圧倒されている。そして軽快を、朗らかな要素を欠いているために、一部の読者には偏愛されるかわり、はじめから大衆性を失っているのである。
「孤島の鬼」は、まだほんのプロローグに過ぎないので、やがて展開すべき事件の内容によってこの作品のストーリーとしての価値は決定されるのであるから、その点に対しては批評を避けるが、この作においては、特に、やがて発展すべき事件の怪奇さを、作者が何回もくりかえして予告的説明をしているのが眼ざわりである。これだけの説明をしいしい事件を展開していったのでは読者は大抵のことでは驚かぬようになっている。手法の上において注意すべき点だと思う。