探偵小説壇の諸傾向
本文約5,900字 ・ 読了時間 約12分
あらすじ(AIが作成しました)
日本の探偵小説壇における諸傾向を平林初之輔が論じる。江戸川乱歩や小酒井不木らに代表される精神病理学的・変態心理的側面を追求する不健全派の作品群を検討し、それらが陥りやすい行き詰まりを指摘する。一方で、正木不如丘や甲賀三郎といった健全派の作風を対照的に分析する。過度に人工的で怪奇な世界へ傾倒する現状を批判し、物語の構成や作家の余裕、また健全派探偵小説のさらなる発展を強く期待する。
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一
『カラマーゾフ兄弟』のような小説を読むと、誰でも少なくも二日や三日は、作品の世界からぬけきれないで、平凡極まる自分の生活がいやになるに相違ない。ロシアの近代思想を縦横に解剖してゆく検事の論告に読みふけっている最中に、「どうだい近頃は」というような、この上ないコンベンショナル〔型にはまった〕な話しかたをしかけるものがあったら、その瞬間には、相手の男がどんなに大学者であっても、まるで煉瓦のように無知な人間と映ずるに相違ない。
いわんやそれを読んだ人が不幸にして、小説家であった場合には、どんなに身の程を知らぬ人が、どれ程きびしい督促を受けている場合にでも、二日や三日はペンをとる勇気を失うだろうと思う。「自分の書こうと思っていたことをみんな書いてしまわれた」という気がするに相違ない。自分をかえりみると、ごみのように不必要な、理由の薄弱な存在と映ずるに相違ない。
ビーストンを読んでペンが萎縮する人は、ひとり甲賀三郎氏ばかりでなく、これは、多少発達した感性をもった(少なくも探偵小説を書いてみようと思う程度に発達した感性をもった)すべての生物に共通の現象であろうと私は考える。
『新青年』が、ある期間の間、しかもそうとう長期にわたる間、海外の傑作ばかりを紹介することにつとめてきたのは、意識的であるか偶然であるかは(編集者に失礼ながら)わからぬが、探偵小説を志す人の陥ったであろうイージーゴーイング〔無頓着〕な心持ちを抑えつけてしまう効果をもっていたことは争われない。もし、あれだけの海外の探偵小説を紹介する労力が省かれていたならば、日本の探偵小説は、きっと現在よりも遥かに低いレベルから出発して見苦しい発達をとげていたに相違ない。この点で、日本の探偵小説は、ほとんど最近にようやく勃興の機運を示してきたにもかかわらず、かなりフェーヴォラブル〔好意的〕な要約の下に生ぶ声を上げたものと言うべきであろう。