文学の本質について(一)
本文約8,100字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
形而上学的な文学観を否定し、文学を経験的要素の複合として捉える論考。文学の本質を不変の神秘と見なす理論は科学的根拠を欠くと指摘し、文学の社会的性質や進化の過程を分析する視点の必要性を説く。さらに、時代の変遷と共に変化する文学の目的を論じ、独断的な流派争いを排して、文学を科学的かつ系統的に探求すべきだと論じる。
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一 形而上学的文学論の破産
「文学は種々の要素から成り立つ。そしてこれ等の要素は分析することができる。けれども、これ等の要素をどれ程分析していつても、そのあとに残るものがある。それが文学の本質である。文学を文学たらしめてゐるものである。」
以上のやうな考へ方を私は形而上学的な考へ方であると断定する。
多くの人々は、かうした考へ方を容認するか、或はかうした問題を全く考へて見ないことによりて、批評的精神の皆無を自ら暴露してゐる。これ等の人々は、文章を次のやうな公式で把握する。
「文学にはさま/″\な外的性質がある。これ等の外的性質は時代或は環境によつて様々に変化する。しかし、その核心に、不変のもの、千古不滅の一貫した何物かゞある。この何物かゞ文学の本質である。」
然らば、この何物かは一体何であるか。この問ひに対して彼等は全く答へる術を知らない。それを永久の「何物か」として安んじてゐるのである。
今から一世紀前の動物学者は、こんな風に考へたでもあらう。
「人間には種々な外的性質がある。そして言語、風俗、皮膚の色や、毛髪の色、体格の大小、知識の程度等の外的性質は人によりそれ/″\異つてゐる。けれども、そこに、人間を他の動物から判然と区別せしめる、即ち、人間を人間たらしめてゐる何物かゞある。」
ところが近代の動物学者は、人間は猿と共通の先祖から生じたものであるといふ仮説をたてた。そして、この仮説は、解剖学的に、胎生学的に、生理学的に、更に進んでは心理学的にすらも支持されてゐるのである。人間といふ不変の本質があつて、様々な経験的要素がこの本質をとりまいて、千差万別の人間をこしらへてゐるのであるといふ考へ方は、実に生物進化論によりて、見事にその空疎を暴露したのである。人間の本質とは一定群の動物に与へられた定義に過ぎないことを暴露したのである。