停車場で感じたこと
本文約7,400字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
停車場へ急ぐ中で電車に乗り遅れた私は、自身の不運を呪い苛立ちを募らせる。しかし、待合室で運命を静かに受け入れる老人や母親の一群の姿に感銘を受け、自らの謙虚さの欠如を恥じる。本作は、些細な日常の失敗から自身の運命に対する態度を見つめ直し、不可避な運命や死と向き合う心構えと、現在を充実させることの重要性を綴る随筆である。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一
ある雨の降る日、私は友人を郊外の家に訪ねて昼前から夜まで話し込んだ。遅くなったのでもう帰ろうと思いながら、新しく出た話に引っ張られてつい立つことを忘れていた。ふと気づいて時計を見ると、自分が乗ることにきめていた新橋発の汽車の時間がだいぶ迫っている。で、いよいよ別れることにして立ち上がろうとした。その時またちょっとした話の行きがかりでなお十分ほど尻を落ち付けて話し込むような事になった。それでも玄関へ降りた時には、さほど急がずに汽車に間に合うつもりであった。で、玄関に立ったまま、それまで忘れていた用事の話を思い出して、しばらく話し合った。
電車の停車場の近くへ来ると、ちょうど自分の乗るはずの上り電車が出て行くのが見えた。「運が悪いな、もう二三分早く出て来たら。」と思った。待合へはいってから何げなしに正面の大時計を見ると、いつのまにかたいへん時間がたっている。変だなと思って自分の時計を出して見る。自分のは十分ほど遅れている。午前には確かに合っていたのだが二時ごろ止まっていたのを友人の家のと合わせた時に、遅れた時間と合わせたわけなのだろう。これでは汽車の時間にカツカツだ、まずくすると乗り遅れるかも知れない、あの時時計が止まってくれなければよかった、などと思う。しかし電車はすぐ来た。それがまた思ったよりも調子よく走る。人の乗り降りがあまりないので停車場などは止まったかと思うとすぐ出る。時計を出して見ると三分くらいで一丁場走っている。このぶんならたいてい大丈夫だと安心した気持ちになる。