衆口
一
学問は朝飯前に。昼間は、藩の時務を見たり、時には江戸城へ詰めたり、その間に、武芸の稽古は随時にやるとして――夜はおおかた若侍相手に、打ち寛いでいる忠利であった。
「どうだな、何か近頃、おもしろい話は聞かぬか」
忠利がこういい出す時は特にあらためて、無礼講とゆるされなくても、家臣たちは、
「されば、こういう事がございますが……」
と、いろいろな話題を持ち出すのをきっかけに、――礼儀こそ紊さないが――家長を囲む一家族のように、睦み合うのが例であった。
主従という段階があるので、忠利も、公務の場合は、峻厳な容態をくずさないが、晩飯の後など帷衣一重になって、宿直の者たちの世間ばなしでも聞こうとする時は、自分も寛ぎたいし、人をも寛がせたいのであった。
それに、忠利自身が、まだ多分に、一箇の若侍といったふうだから、彼らと膝を組んで、彼らのいいたいことを聞いているのが好きであった。好きばかりでなく、世情を知るうえには、むしろ、朝の経書よりも、活きた学問になった。
「岡谷」
「はあ」
「そちの槍は、だいぶ上達ったそうだな」
「上がりました」
「自分で申すやつがあるか」
「人がみな申すのに、自分だけ謙遜しているのは、かえって嘘をつくことになりますから」
「ははは。しぶとい自慢よの。――どれほどな腕なみになったか、いずれみてやるぞ」
「――で、はやく、御合戦の日が来ればよいと、祈っておりますが、なかなか参りませぬ」
「参らずに、仕合せであろう」
「若殿にはまだ、近頃のはやり歌を、ご存じありませぬな」
「なんという歌か」
「――鑓仕鑓仕は多けれど、岡谷五郎次は一の鑓」
「うそを申せ」
忠利が笑う。
一同も笑う。
「あれは――名古谷山三は一の鑓――という歌であろうが」
「ヤ。ご存じで」
「それくらい」
と、忠利は、もっと、下情の通をいってみせようとしたが、慎んだ。そして、
「――ここでは、平常の稽古に、槍を致しておる者と、太刀を致しておる者と、いずれが多くあるな?」
と訊ねた。
ちょうど、七名いたが、
「拙者は槍」
と、答えた者が、五人で、
「太刀」
といった者は、七名のうち、二人しかなかった。
で、忠利は重ねて、
「なぜ、槍を習うか」