鬼
本文約15,700字 ・ 読了時間 約32分
あらすじ(AIが作成しました)
棟方与右衛門は、困窮する津軽藩を救うべく治水工事に奔走する。藩や民衆からの誤解と迫害、重圧に晒されながらも、一人娘のお珠と二人で過酷な山暮らしを送り、工事を強行する。やがて彼が着手した事業は実を結び始めるが、長年の苦闘と罪悪感に苛まれる与右衛門は、百姓たちに自身の想いを遺書に託し、最後を迎える。その後、地域を一変させた治水の功績と、与右衛門の遺志は次世代へと継承されていく。
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一
「――お待ちかねでいらっしゃる。何、そのままの支度でさし支えありますまい。すぐ庭口へ」
と、近習番に促されると、棟方与右衛門は、よけいに足も進まず、気も晦くなってしまう。
案のじょうである。
大書院へ出ていた君侯の面には、焦躁のすじが立っていた。与右衛門が土へ手をつくとすぐ、
「討ったか」
と、頭から云い、そして与右衛門が顔を上げずにいるとまた、
「主水めの首をこれへ見せい」
と云うのだった。
出羽守の立腹も、藩の士気を正すためには、当然そうなるべきで、ただの癇癪ではないのである。
家臣の福原主水が、女の意趣とか何とか、言語道断な沙汰で、同僚の者を暗殺した上、藩用を詐称して、城下の町人から急場の金を借り、それを持って、今暁、津軽領から逐電してしまった。
追手討ち!
勿論、棟方与右衛門だけが、君命をうけたわけではないが、生憎と、足軽頭である与右衛門は、その朝、組下を連れてこの弘前城の二の丸へ早くから出ていたので、出羽守の眼にとまって、
(そちも行って手功をして来い)
と吩咐けられたものであった。
これは君恩と云っていい。こういう折でもなければ、十石の扶持でも上げられる時勢ではないし、一藩に認められるのもこんな時こそ侍の働き効いというものだった。
与右衛門は勇躍して、主水を追跡した。そして南部領へ落ちて行こうとする彼を、出羽街道の碇ヶ関の山中で見つけ、
(君命であるぞ、主水! 首を所望)
とまでは、名乗りかけたし、また討って帰るつもりだった。
二
碇ヶ関まではずいぶん山道を歩く。人にも会わない道が何里とあった。主水と出会った山中も、仏法僧の声しか聞えない樹立の間だった。
兇悪な――上ずった眼でもしているかと想像していた主水は、案外、落着いていて、悪びれたふうもなく、
(騒がしてすまなかった)
と最初に云った。