本文へ移動
TORENDIA

鳴門秘帖

本文約134,700字 ・ 読了時間 約270分

あらすじ(AIが作成しました)

阿波二十五万石の太守・徳島藩主重喜は、討幕の密議の盟主として城郭の改築や兵備を進めるが、幕府の目を畏れ神経をすり減らしている。一方、領内に入り込む他領者への疑心暗鬼を深める重喜のもとへ、公卿の竹屋三位卿らが訪れ、決起の時を急かして圧力をかける。そのような中、法月弦之丞は追手から身を守りつつ行動し、激しい雨と嵐が吹き荒れる海上での混乱を潜り抜け、お綱を抱えて海へと身を投じ、窮地からの脱出を試みる。

吉川英治

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 156

心の地震

鬱然とした大樹はあるが、渭山はあまり高くない。山というよりは丘である。

西の丸、本丸、楼台、多門など――徳島城の白い外壁は、その鬱蒼によって、工芸的な荘重と歴史的な錆をのぞませ、東南ひろく紀淡の海をへいげいしていた。

城下をめぐる幾筋もの川は、自然の外濠や内濠のかたちをなし、まず平城としては申し分のない地相、阿波二十五万石の中府としても、決して、他国に遜色のない城廓。

その三層楼のやぐら柱にもたれて、さっきから、四方を俯瞰している人がある。

太守である。阿波守重喜だ。

かれは、そこからかすかにみえる、出来島の一端を見つめた。河にのぞんだ造船場がある。多くの工人、船大工が、しきりに巨船を作っていた。

すぐ、その眼を、徳島城の脚下にうつした。

そこにも、多くの石工が、外廓の石垣を築いていた。搦手の橋梁や、濠を浚う工事にもかかっている。

石垣の修築は、幕府の干渉がやかましいものだが、阿波守は、わずかな河川の修復を口実にして大胆にこの工を起こした。しかもそれは大がかりな城廓の手入れらしい。

のみや槌の響きは、何か新興の力を思わせる。阿波守の胸には、その音が古き幕府に代るものの足音として衝ってくるのだ。――四顧すれば海や空や本土のあなたにも、皇学新興の力、反徳川思想がみちみちて、ひとたび、この渭之津の城からのろしをあげれば、声に応じて西国の諸大名、京の堂上、それに加担するものなどが、ときの声をあげるだろう。

重喜の眸は、そんなことを想像しながら、時の移るのを忘れていた。

「だが? ……」

ふと、自分で自分に反問する。

「大事――未然に洩れては、すべての崩壊だ。この城、この国、一朝にして、資本も子も失くすことになる」

望楼を歩きながら阿波守、しきりに苦念の様子である。ゆるく、的なく、一歩一歩と踏む足には力をこめたが、胸底の憂暗、かれの横顔をおそろしく青くみせた。

「堂上方を中心として、竹内式部、山県大弐、そのほか西国の諸侯数家、連判をなし血誓の秘密をむすび、自分はすでにその盟主となっている。今に及んで、卑怯がましい、なんの、これほどの大事をあぐるに!」こう、動じやすい意志を叱って、唇をかんだ。

吉川英治の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本