鳴門秘帖
本文約59,100字 ・ 読了時間 約119分
あらすじ(AIが作成しました)
京都の茶荘で静かな日々を送るお千絵は、自身の境遇を知らされぬまま、愛する法月弦之丞を想い続けている。折しも南町奉行所の役人が人相書を携えて現れ、お千絵の姿と照らし合わせて不審を抱く。一方、潜伏を続ける周馬は江戸への帰還を目指し、禅定寺峠での合流を画策する。複雑に絡み合う思惑と追跡の中、弦之丞は銀五郎の墓前で一節切を吹き、一行はそれぞれの運命と向き合いながら、新たな旅路へと歩みを進める。
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お千絵様
さて、その後またどうしたろうか、お千絵様は?
かの女の今の環境はしずかであった。爽やかな京の秋がおとずれている。
部屋の前はひろい河原で、玉砂利と雑草とを縫う幾すじもの清冽は、加茂の水と高野川の末がここで落ちあっているのだと、和らかい京言葉をもつ小間使に教えられた。
そこは、京の下加茂にある、所司代の茶荘であった。柳の並木を境に、梶井伏見家などの寮園があり、森の隣には日光別坊の屋根が緑青をのぞませている。
河原に向った数寄屋作りは、お千絵のために建てたように居心地のピッタリ合った部屋だった。
お千絵はそこの窓から、毎日、加茂の水を見ていた。今も、侍女とは口もきかずに、じっと、そうしているのである。
「弦之丞様……弦之丞様は?」
と、ひねもす河原に啼いている虫とひとつに、思いつめて水を見ている。
しかし、その愛人の消息はおろか、まだ自分自身の境遇さえ、いったい、どう変って、どこへ向っているのか、夢のようで思い当たれないお千絵であった。
病気は、江戸にいた頃から、少しずつよくなっていたので、墨屋敷以来のことは、かすかに想像がついた。けれど、周囲の者は、あの乱心が二度ぶり返ってきたら、こんどこそは癒るまいと医者の注意をうけているので、何をたずねても、肝腎なことは、少しも話してくれなかった。
「お千絵様、殿様はいつもこうおっしゃっておいででございます――」と、そばに侍く小間使がいうのである。
「ある時節がまいりますまで、あなたは松平家の御息女のおつもりで、夏は夏を、秋は秋をたのしんで、気を賑やかに、わがままに、こうしておいでになればよろしいのじゃと……」
「だって私は……」とお千絵は、慰められる言葉にいつも気が沈んで……。
「そんな気もちになっていられませぬ」
「なぜでございますか。殿様の仰せつけ、お気がねはいりませぬのに」
「でも、誰ひとりとして、私のたずねることに、はっきり返辞をしてくれたことがない」
「それは、お千絵様、あなたのお体を思うからでございます」
「……じゃあ私は……といっても、また教えてくれないかも知れぬが、どうして、この京都へくるようになったのでしょう?」