TRENDIA CLASSIC

鳴門秘帖

吉川英治

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お千絵様

さて、その後またどうしたろうか、お千絵様は?

かの女の今の環境はしずかであった。爽やかな京の秋がおとずれている。

部屋の前はひろい河原で、玉砂利と雑草とを縫う幾すじもの清冽は、加茂の水と高野川の末がここで落ちあっているのだと、和らかい京言葉をもつ小間使に教えられた。

そこは、京の下加茂にある、所司代の茶荘であった。柳の並木を境に、梶井伏見家などの寮園があり、森の隣には日光別坊の屋根が緑青をのぞませている。

河原に向った数寄屋作りは、お千絵のために建てたように居心地のピッタリ合った部屋だった。

お千絵はそこの窓から、毎日、加茂の水を見ていた。今も、侍女とは口もきかずに、じっと、そうしているのである。

「弦之丞様……弦之丞様は?」

と、ひねもす河原に啼いている虫とひとつに、思いつめて水を見ている。

しかし、その愛人の消息はおろか、まだ自分自身の境遇さえ、いったい、どう変って、どこへ向っているのか、夢のようで思い当たれないお千絵であった。

病気は、江戸にいた頃から、少しずつよくなっていたので、墨屋敷以来のことは、かすかに想像がついた。けれど、周囲の者は、あの乱心が二度ぶり返ってきたら、こんどこそは癒るまいと医者の注意をうけているので、何をたずねても、肝腎なことは、少しも話してくれなかった。

「お千絵様、殿様はいつもこうおっしゃっておいででございます――」と、そばに侍く小間使がいうのである。

「ある時節がまいりますまで、あなたは松平家の御息女のおつもりで、夏は夏を、秋は秋をたのしんで、気を賑やかに、わがままに、こうしておいでになればよろしいのじゃと……」

「だって私は……」とお千絵は、慰められる言葉にいつも気が沈んで……。

「そんな気もちになっていられませぬ」

「なぜでございますか。殿様の仰せつけ、お気がねはいりませぬのに」

「でも、誰ひとりとして、私のたずねることに、はっきり返辞をしてくれたことがない」

「それは、お千絵様、あなたのお体を思うからでございます」

「……じゃあ私は……といっても、また教えてくれないかも知れぬが、どうして、この京都へくるようになったのでしょう?」

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