私本太平記
本文約121,800字 ・ 読了時間 約244分
あらすじ(AIが作成しました)
足利又太郎高氏は大晦日の夜、京の酒屋で従者の一色右馬介と酌み交わす中、都の異様な賑わいや鎌倉者との遭遇を通じて、変わりゆく世情を肌で感じていた。その後、高氏は思わぬ因縁や足利家を巡る動乱に直面し、父性への目覚めや重苦しい葛藤を抱えながら、執権北条高時の犬に噛まれた古傷を背に、激動の時代の渦中へとその身を投じていく。本作は、鎌倉幕府の終焉と新たな時代の到来を予感させる群像劇である。
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下天地蔵
まだ除夜の鐘には、すこし間がある。
とまれ、ことしも大晦日まで無事に暮れた。だが、あしたからの来る年は。
洛中の耳も、大極殿のたたずまいも、やがての鐘を、偉大な予言者の声にでも触れるように、霜白々と、待ち冴えている。
洛内四十八ヵ所の篝屋の火も、つねより明々と辻を照らし、淡い夜靄をこめた巽の空には、羅生門の甍が、夢のように浮いて見えた。そこの楼上などには、いつも絶えない浮浪者の群れが、あすの元日を待つでもなく、飢えおののいていたかもしれないが、しかし、とにかく泰平の恩沢ともいえることには、そこらの篝番の小屋にも、町なかの灯にも、総じて、酒の香がただよっていた。都の夜靄は酒の匂いがするといってもいいほど、まずは穏やかな年越しだった。
「さ、戻りましょうず。……若殿、又太郎さま。……はて、これは困った。いつのまにやら、邪気も無う、ようお寝みだわ」
一色右馬介は苦笑した。ゆり起しても、若い主人の寝顔は、居酒屋の床几に倚ったまま、後ろの荒壁を背に、ぶらぶら動くだけなのである。
「これはちと、参らせすぎたな。やはりお年はお年」
右馬介は侍者として、急に自分の酔をさました。ここは錦小路の、俗に“請酒屋”とも“小酒屋”ともよぶ腰かけ店だ。こんな所へ、ご案内したと知れただけでも、あとで上杉殿からどんなお叱りをうけるかと。
かつて、自分は六波羅の大番役も勤め、都は何度も見ていたが、又太郎ぎみには、初めてのご見物だ。すべてが、もの珍しくてならないらしい。
ところで、こんどの上洛では、彼も驚目したことだが、なんと都には、酒屋が殖えたものだろう。――という感を、ここの亭主にただしてみたら、十年前には醸造元の“本酒屋”も百軒とはなかったものが、当今では洛中だけでも二百四、五十軒をこえ、その上、近江の百済寺で造るのや、大和菩提寺の奈良酒だの、天野山金剛寺の名酒だの、遠くは、博多の練緯酒までが輸入されてくる有様なので、請売りの小酒屋も、かくは軒を競っておりますので、ということだった。
なるほど、これは自分たちの国元、関東などでは見られない。