TRENDIA CLASSIC

私本太平記

吉川英治

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乱鳥図

都は紅葉しかけている。

高尾も、鞍馬も。

その日、二条加茂川べりの水鳥亭は、月例の“文談会”の日であった。

流れにのぞむ広間の水欄には、ちらほら、参会者の顔も見えはじめ、思い思いな水鳥の群れに似た幾組かを、ここかしこに作りあっていた。

「いいなあ、秋の水音は」

「肌ごこち、なんともいえぬ。河原は昼の虫の音だし……」

また、べつな組では。

「――今日は、何人ぐらい集まろうかの」

「いや、ほとんど洩れはあるまい」

「触れ状では、久しく見えなんだ俊基朝臣も、今日はお顔を出されるとか」

「それよ。何ぞの報告もあるにちがいない。長い忍び行脚から、両三日前、密かに、帰邸しておられたそうだから」

かかるうちに、追々、参加者はふえていた。

――顔ぶれを見ると。

尹ノ師賢、四条隆資、洞院ノ実世、伊達ノ三位遊雅、平ノ成輔、日野資朝。

僧では、聖護院ノ法印玄基。ほか数名。

また武士側は、足助次郎重成、多治見国長、土岐左近頼兼などの十数人。

さらに、儒者とも医師ともみえぬ者も、交じっている。

要するに、この文談会の趣旨というのは。

僧俗貴賤の階級も問わず、ただ文雅に心をよせ、好学の志を持つものを以て集まる――というのであったから、この玉石混淆も、ふしぎではない。

そして、自作の詩文を評し合い、また、時代の新思想とされている宋学を論究したり、時には、当代の泰斗を招いて、その講義を聴く――というおそろしく、まじめな会でもある。

が、それは表面の標榜にすぎなかった。――この中の武士にも公卿にも、およそ六波羅や、幕府方に信用されている人間は、一人も見あたらないのをみても、それはわかる。

ここの会場水鳥亭も、たれの館でもない。むかしは、奢りを謳われた大臣の別荘であったというが、住みてもなく荒れていたものを、一昨年ごろ手入れして、以来月々の“文談会”の例席としてきたに過ぎない。

だが、会合も、回をかさねること、すでに二十たびをこえ、そのつど顔ぶれもふえ、またさかんになるに従って、会後の婆娑羅な無礼講の遊宴も、いつか常例になっていた。

無礼講は、無礼問わずである。

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