TRENDIA CLASSIC

私本太平記

吉川英治

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石の降る夜

古市の朝は、舟の櫓音やら車の音で明けはじめる。

ほどなく、散所民のわめき声だの、赤子の泣き声。そして、市の騒音も陽と共に高くなり、やがて型どおりな毎日の生態と砂塵が附近一帯をたち籠めてくる。

「まだ帰らぬの」

「……帰りませんなあ」

出屋敷の板かべの一間から、日野俊基は、外ばかり見ていた。――夜来、侍いていた石川ノ豊麻呂も、まんじりもしなかった瞼である。

「たかの知れた放免一人、あの二人が、討ち損じるはずはないと思われますが」

豊麻呂には、自責もあった。

俊基の身をここへ隠し、つき纒う八荒坊は、高野街道へおびき出して、頼春と菊王の手で打ち果させるという計は、そもそも、自分が妙策と信じていい出したことなのだ。

「ご窮屈でも、弁ノ殿には、しばし、ここにてお待ち下さいませぬか」

「お身はどこへ?」

「万一のため、部下に命じて、高野街道を中心に、手分けさせておりますが、それらの者も、なぜか、まだ一人とて立ち帰って来ません。自身、石川まで行って、吉左右のほど、確かめてまいりまする」

豊麻呂は出て行った。

いや、そんな悠長さではなく、飛ぶがごとく駈けてゆく背は、いかにも自責のつよい若者の純情ぶりを思わせる。

ところが。――その豊麻呂もなかなか戻って来なかった。すでに午すぎ。やっと帰っては来たが、その姿は、朝にもまして疲労と埃にまみれていた。

「どうした? 豊麻呂」

「なんとも、解せぬことになりました。八荒坊が討たれたらしい形跡もなく、頼春と菊王の安否の程もわかりません」

「さては、不首尾か」

「が、部下どもの探りによれば、天見の辺では、八荒坊にもあらぬ偽山伏の放免の死骸が、幾つか見られ、そのどれもが、みな矢キズを負っていたと申しまする」

「はての。二人は、弓は持たなかったはず。さらには、同類の偽山伏が、ほかにも大勢いたとすれば、何ぞの手違いが、起ったものに相違ない」

「されば、放免どもはいつか、弁ノ殿がここにお潜みのことまで偵知したらしく、日頃から居る地元の諜者もみな挙げて、ここの出屋敷のぐるりを見張っておりまする」

「なに、ここをも?」

俊基は、愕とした。

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