TRENDIA CLASSIC

私本太平記

吉川英治

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罪の暦

先帝後醍醐の隠岐遠流。

二皇子の四国流し。

その日は近かった。あと二日ほどでしかない。洛中は車馬のうごきにも緊迫した時局が見えて、不気味な流言もまま飛んでいた。

「楠木はまだ生きている!」

「正成はまだ死んではいない」

「赤坂落城のさい死んだとみせ、じつは大塔ノ宮と共にどこかで指揮をとっている」

時も時ではあり、熱病の熱が再発したように、この流説はぱっと拡がり、かつ一般に信じられていた。

六波羅のうけた衝撃は小さいものでない。

もし事実なら、洛中の諸大将などもまた、鎌倉表へたいして、面目もないわけだ。

彼らは赤坂落城と同時に「正成も火中に死したり」と公報して、いい気な“凱旋酒”に酔っていたものである。だから口々に、

「流言にすぎぬ」と、打消し、

「流言が作り出す亡霊だ、大塔ノ宮はともあれ、正成が生存しているはずはない」

と表面、平然を装うていたが、しかし動揺のいろ蔽いえないものがあった。

それの証拠には、在京諸軍をあげて、洛外七道の街道口その他に非常の布陣が行われ出した。いうまでもなく、幻の敵にたいする先帝奪回の封じ手だった。――高氏の一勢などもまた、羅刹谷を出て、大和口の三ノ橋に、こよいも篝火をさかんにし、非常の警備についていた。

その宵ごろだった。

「待てっ」

とつぜん、三ノ橋のたもとで、槍ぶすまを突きつけられ、ぎょっと立ちすくんだ旅人がある。

「どこへ行く?」

旅の男は答えた。

「京へ入ります」

「知れたこと、何しに行く」

「てまえ、具足師でございますので、さるお方の御宿所まで」

「ならん。ここ数日は、京口一切、夜中通行止めとある高札を見ていないのか」

「はて」

男は、ほかを見廻して。

「もしやここは、足利殿の御陣ではございませぬか」

「いらざることを申すな。何でもあれ、通すことはならん」

「ならば、高氏さまへお取次ぎ下さい。具足師の柳斎ですがと」

「えっ、柳斎」

末端の兵では、一色右馬介の顔は知らない者が多い。しかし柳斎と聞けば、しばしば殿が座辺に近づけている隠密と知っている。

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