序
古人を観るのは、山を観るようなものである。観る者の心ひとつで、山のありかたは千差万別する。
無用にも有用にも。遠くにも、身近にも。
山に対して、山を観るがごとく、時をへだてて古人を観る。興趣はつきない。
過去の空には、古人の群峰がある。そのたくさんな山影の中で、宮本武蔵は、私のすきな古人のひとりである。剣という秋霜の気が、その人の全部かのように荊々しく思われて来たが、彼の仮名文字をようく見つめているとわかる。あんな優雅なにおい、やさしさ、細やかさ、虚淡な美を、剣を持つ指の先から書きながす人が、過去にも幾人とあったろうか。
子どもが好きだ。漂泊の途で、不幸で質のいい子を見かけると彼は拾う。銀の猫をやって立去った西行さんより人間的だ。なぜなら、彼も不幸な子だったから。
自ら伸ばそうともしない生命の芽を、また運命を、日陰へばかり這わせて、不遇を時代のせいにばかりしたがる者は、彼の友ではあり得ない。大風にもあらい波にも、時代がぶつけて来るものへは、大手をひろげてぶつかり、それに屈しないのが、彼の歩みだった。道だった。
近代の物力以上、近代人の知能以上、系図や家門が重んじられた社会制度の頃に生きて、一郷士の子という以外、彼は何も持たなかった。持てるようになってからも持たなかった。死ぬまで、離さなかったものがただ一つあった。剣である。その道である。
剣をとおして、彼は人間の凡愚と菩提を見、人間という煩悩のかたまりが、その生きるための闘争本能が、どう処理してゆけるものか、死ぬまで苦労してみた人だ。乱麻殺伐な時風に、人間を斬る具とのみされていた剣を、同時に、仏光ともなし、愛のつるぎともして、人生の修羅なるものを、人間苦の一つの好争性を、しみじみ哲学してみた人である。
剣を、一ツの「道」にまで、精神的なものへ、引上げたのも彼である。応仁から戦国期へかけて、ただ殺伐にばかり歩いてきた、さむらいの道は、まちがいなくそこから踏み直したといっていい。