TRENDIA CLASSIC

八寒道中

吉川英治

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笛は孤独でたのしめる。――いつか旅で笛を吹く心境のふしぎな陶酔の味を知って、今では、安成三五兵衛の腰には、大小と印籠のほかに、袋にはいった一笛がたばさまれて、かれの旅に離れぬものとなっていた。

それは、桑名の城下で、すすけた古物屋の店ざらしの中から見つけ出した笛だった。値はお話にならないくらい安かったが、手がけてみると逸品で、誰か、名人の手になった作にちがいない。

彼は、もうその笛を、三、四年も持ち馴れていた。

ただすこし気に染まないのは、竹管に傷つけてある笛の銘だった。――沈め刀に青漆をさして、小さく、

「八寒嘯」

と、彫りつけてある。

どうもそれが彼には、おそろしい冷たさに感じられてくるのだ。音色に鬼韻のあるのは好ましいとさえ思うが、八寒嘯という銘の意味を酌むと、なにもかも白い氷に凍てている天地が想像されてならない。

そのくせ、当の安成三五兵衛その者は、どういう人かと見ると、これはまた、痩身衣にも耐えずという風采で、眼ざしは執着のねばりを示し、眉は神経質に細くひいて、顔いろだけが長い旅に焦けているが、その唇は冷やッこくすねて、哄笑も微笑も忘れているかに見える。

永いこと家庭をもたぬ人の特長として、ひどく青年らしいところもあるが、年は三十四、五だろう、すべてが「冷たい感じの人物」である。

その三五兵衛が、「八寒嘯」の字義を気にかけるなどは少しおかしいが、同性相忌むというから、彼のような冷徹な型の人間は、かえって、つよい温か味を欲するのであるかも知れぬ。たとえば女のようなもの。――それも凡な女ではなく、いつも火のような情炎を肌のあぶらに焚いている女の……。

×   ×   ×

「ほ。仁和寺流……」

三五兵衛は標札に足をとめて、静かな構えの玄関をのぞいた。

萩の袖垣に、塗障子の床玄関、笛師らしい住居である。

「旅先のものでござるが、お珍しいお流儀、同好なれば、何とぞ一曲御指南を」

野袴のチリをはたいて、取次をたのむ。

通されて、三五兵衛は笛師春日平六という人品のいいおじいさんの前へ出た。

「吹いてごらんじゃい」

彼はつつしんで、八寒嘯を袋からとり出し、漢曲の月騒恨をひとくさり吹いた。

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