TRENDIA CLASSIC

春の雁

吉川英治

1 / 13

春の雁

からっとよく晴れた昼間ほど、手持ち不沙汰にひっそりしている色街であった。この深川では、夜などは見たこともないが、かえって昼間はどうかすると、御旅の裏の草ッ原で、子を連れて狐が陽なたに遊んでいたりする事があるという。

――通船楼の若いおかみさんは、

「何だえ、包み始めてさ。……負けずに持って帰るつもりかえ」

歯ぎれのいい女だけに、笑いながら云っても、人を蔑むように美しいのである。

清吉は、頭を掻いて、

「だって、御寮人様、何ぼなんでも、この唐桟を、十七両だなんて」

「高価すぎるかえ」

「ご冗戯でしょう。新渡じゃあござんせんぜ。これくらいな古渡りは、長崎だって滅多にもうある品じゃないんで」

内緒部屋の障子の桟には、絶えず波の影が揺らいでいた。すぐ裏手が、晩には猪牙の客を迎える狭い河だった。

「どうするのさ」

通船楼の若いおかみさんは、清吉には苦手なお客様とみえる。せめて二十両でといえば、良人に着せるのだから、自分の一存ではそう高く買えないと云う。

「じゃあ、とにかく、置いて参りますから、旦那様にもお目にかけた上でひとつ……」

そこらへ並び散らしてある他の鼈甲物だの、縞だの、珊瑚だの、香料だの、青磁だの、支那文人画の小点などを、片手に提げられるくらいな包みに小ぢんまりと纏めてしまうと、

「これでいいだろう」

金を出して、通船楼のおかみさんは、唐桟の一巻を、自分の後ろへころがした。

数えてみると、二十両あるので、清吉はかえって眼をみはってしまった。まだ二十歳を幾つも出ていまいと思われるのに、青い眉と黒豆のような歯並びをしているおかみさんは、

「ホホホホホ。揶揄って上げたんだよ」

と、独りでおかしがった。

「へえ、ひどい事を!」

「あたりまえさ。良人にわたしが見立てて着せようというのに、穢い値切り方をしたの、買い惜しみをしたのと聞いたら、着るにも気色が悪いと云って、良人だって着やしないし、わたしの意気だって届かないじゃないか」

「これはどうも、手放しなところを」

「お惚気賃は、前払いで云っている筈なんだよ」

吉川英治の他の作品