春の雁
本文約10,400字 ・ 読了時間 約21分
あらすじ(AIが作成しました)
長崎から江戸の深川へ骨董の行商に来ている清吉は、その土地特有の遊女たちの不可思議な心意気に戸惑いを感じていた。ある日、清吉は秀八という遊女と出会い、その窶れの美しさと気風に魅了される。清吉は彼女との駆け落ちを決意し、共に江戸を離れる約束をする。しかし、待ち合わせの場所で秀八を待つ間、彼女が幼い子供を想う切実な姿を偶然目撃した清吉は、自身の故郷に待つ家族へ思いを馳せ、一人その地を去る。
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春の雁
からっとよく晴れた昼間ほど、手持ち不沙汰にひっそりしている色街であった。この深川では、夜などは見たこともないが、かえって昼間はどうかすると、御旅の裏の草ッ原で、子を連れて狐が陽なたに遊んでいたりする事があるという。
――通船楼の若いおかみさんは、
「何だえ、包み始めてさ。……負けずに持って帰るつもりかえ」
歯ぎれのいい女だけに、笑いながら云っても、人を蔑むように美しいのである。
清吉は、頭を掻いて、
「だって、御寮人様、何ぼなんでも、この唐桟を、十七両だなんて」
「高価すぎるかえ」
「ご冗戯でしょう。新渡じゃあござんせんぜ。これくらいな古渡りは、長崎だって滅多にもうある品じゃないんで」
内緒部屋の障子の桟には、絶えず波の影が揺らいでいた。すぐ裏手が、晩には猪牙の客を迎える狭い河だった。
「どうするのさ」
通船楼の若いおかみさんは、清吉には苦手なお客様とみえる。せめて二十両でといえば、良人に着せるのだから、自分の一存ではそう高く買えないと云う。
「じゃあ、とにかく、置いて参りますから、旦那様にもお目にかけた上でひとつ……」
そこらへ並び散らしてある他の鼈甲物だの、縞だの、珊瑚だの、香料だの、青磁だの、支那文人画の小点などを、片手に提げられるくらいな包みに小ぢんまりと纏めてしまうと、
「これでいいだろう」
金を出して、通船楼のおかみさんは、唐桟の一巻を、自分の後ろへころがした。
数えてみると、二十両あるので、清吉はかえって眼をみはってしまった。まだ二十歳を幾つも出ていまいと思われるのに、青い眉と黒豆のような歯並びをしているおかみさんは、
「ホホホホホ。揶揄って上げたんだよ」
と、独りでおかしがった。
「へえ、ひどい事を!」
「あたりまえさ。良人にわたしが見立てて着せようというのに、穢い値切り方をしたの、買い惜しみをしたのと聞いたら、着るにも気色が悪いと云って、良人だって着やしないし、わたしの意気だって届かないじゃないか」
「これはどうも、手放しなところを」
「お惚気賃は、前払いで云っている筈なんだよ」