TRENDIA CLASSIC

旗岡巡査

吉川英治

1 / 28

雲雀も啼かぬ日

河が吼えるように河の底から、船頭の大きな声が、

「――船止めだとようっ」

「六刻かぎりで、川筋も陸も往来止めだぞうっ」

船から船へ、呶鳴り交わしてから触れ合っていた。

下総の松戸の宿場。

雪はやっと、降りやんではいたが――

きのうからの大雪は、この地方にまでわたっていた。三月の桃の節句だ。雲雀は死んだように黙ってしまい、菜の花も青い麦も雪の下だった。万延元年のこの日は、江戸表だけの天変地異ではなかったのである。

醤油船の権十は、

「お松、何をいつまで、愚図愚図してるだ。まだ燃え付かねえのか」

煙に顔を顰めながら、岸へ繋綱を取っていた。

権十の娘は、まだ十五、六の小娘だった。

「だって、父っさま、薪が濡れているで、いくら燃やしても、燃えやしねえだもの」

煤りかけている七輪へ顔を寄せて、眼を紅く爛らせながら艫の方からいう。

すると隣の干鰯船から、仲間の八が、苫を剥くって、

「――権十、飯の支度か」と顔を出した。

「そうよ、これからだ。嬶あに死なれてからというもの、お松の奴アまだからっきし子供だしよ、美味え飯なんぞ喰ったこたあねえ」

「そういっちゃあ、お松ッ子が可哀そうだぜ、十五にしちゃよく働く方だ。なア、お松ちゃん」

八は、着物をかえていた。そして岸へ上がって行きながら、

「おらあ、町へ行って、一ぺい飲るつもりだが、どうだい権十、つきあわねえか」と、誘った。

「さあ? ……」

権十は、生返辞だった。父娘が二人きりの船世帯なので、十五の小娘を一人残して行くには忍びないらしいのである。

八は、陸から、

「なあ、お松ッ子。帰りにゃ簪を買って来てやらあ。いい子だから、お飯が炊けたら、一人で喰べて、先に寝ていな、いいだろ」

「ああいいよ」

お松は、岸を仰いで笑った。船頭の娘なので、河っ童のように髪の毛は赤いし、色は黒いが、眼元がぱっちりしていて、研けば今に、潮来でお職が張れるなどとよく揶揄われたりするほど、どことなくそんな素質の小娘だった。

この地方ばかりでなく、諸国とも、今日から一切「鳴物停止」のお布令だった。

吉川英治の他の作品