筍の美味さは第一席
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あらすじ(AIが作成しました)
筍の美食原品としての価値や産地ごとの品質の差異、特に京都・樫原の優良種が持つ甘味や香気について論じる。また、筍本来の風味を損なわないための調理の秘訣や、収穫時期による味の違い、季節とともに移り変わる筍の種類など、その味わい方を詳述する。料理屋の激増による乱獲への懸念を示しつつ、素材の良さを生かすための工夫の重要性を説く一編。
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筍の缶詰ものは、一流日本料理の料理になる資格はないが、二流以下の料理用としては、年中、日本料理にも中国料理にも重宝されているくらいだから、美食原品として一等席へ坐してもよいものであろう。
彼の廿四孝の孟宗は、母のために雪の地下深く竹の芽、すなわち筍を掘って有名であるが、筍は降雪期の前、すでに地下深く萌芽しているから、別にふしぎなことではない。
京阪の一流料理屋が暮の中から、初春から、はしりものとして客の膳に出しているのが、すなわち、それである。その味は出盛り季節の美味ではないが、これはこれで一種捨てがたい風味があって、充分珍重に価する。
しかし、筍も産地による持ち味の等差というものの甚だしいのに驚く。もとより京阪は本場である。関東のそれは場違いとしたい。目黒の筍など名ばかりで、なんの旨味もない。京都では、洛西の樫原が古来第一となっている。その付近に今ひとつ、向日町という上産地がある。洛東の南、伏見稲荷の孟宗藪も近来とみに上物ができて、樫原に劣らぬと自慢している。
しかし、私の経験ではなんと言っても樫原の優良種がよい。噛みしめて著しい甘味があり、香気がすこぶる高い。繊維がなくて口の中で溶けてしまう。
これを季節の味で食えば本来たまらなく美味いが、近来は到るところ料理屋の激増によって料理屋向きを目当てに、廿四孝が掘り出したであろうところの稚筍、すなわち若芽(百匁四、五本のもの)を掘り尽してしまい、いよいよという季節の来た時分は、藪に一本もない始末。従って本場の季節ものは、台所などへは顔を見せてくれない。
ゆがいた筍を永く水に浸しておくのは、味を知らない人のすること、掘って間のない本場ものなら、京都人は、ゆでないでそのまま直ぐに煮て、少しも逃げない味を賞味している。煮冷えすると白い粉が吹いているが、平気で美味さをよろこぶ風がある。
新しい筍を煮るのに、醤油、砂糖でできた汁を筍の肉深く滲み込ませるのは考えものである。日の経った筍や缶詰ものならばそれもよいが、掘りたてのものであってみれば、煮汁を滲みこませないよう中身は白く煮上げるのが秘訣である。