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TORENDIA

古九谷観

本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

後藤才次郎が創始したと伝わる古九谷の美の価値について論じる。伊万里や有田が職人による非芸術的な工芸美術であると断じる一方、古九谷を男性的で豪快な芸術品として称賛する。また、古九谷の絵付けが久隅守景の下絵によるものだという世間の俗説を否定し、その筆力や精神性は俵屋宗達に近いと主張する。この比類なき芸術の存在こそが、日本製陶史の強味であり、日本陶磁界を完璧なものにしていると説く。

北大路魯山人

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🎧 古九谷観 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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大聖寺の臣後藤才次郎なるもの徳川の万治年間、九州有田の製陶秘奥を探り、帰来所謂古九谷焼が創まる。あるいは中国に渡って古赤絵付けの法を得た。こんないきさつを無上に詮議だてして興がっている人もあるが、吾人の如きは、そんなことはどうだっていいじゃないかという方の組で、そんな閑には直ちにモノを直視する。実体そのものの価値を観てそれに感じ入る。また、それに具わった美に心を打たれて心身を浄める等々、これらの事柄を大切に心得る方の愛陶組である。ゆえに、お国贔屓は全然ない。即ち是を是とする。従って文献などは刺身のツマぐらいにしか心得ていない。

しかし、こんな意見は吾人の一人よがりの意見にすぎないから、これ以上は遠慮するとして、本論、即ち古九谷が有する美の価値に言を移してみよう。

そこで吾人が常に思っている所をさらけ出して見ると、伊万里とか、有田とか、古九谷とかは製陶の手法こそ相酷似しているものの、実体が有する美的要素に於ては、前者と後者と価値を黒白の如く全然別にしていると断言したいのである。有田にも伊万里にも結構な出来が有るには有るが、悲しいことにそれは幾何あっても職人の仕事としての成果である。職工美術としての価値以上はなんとしても、見出し難いのである。言い換えれば、実に非芸術的であって、無精神な、単なる工芸美術なのである。ゆえに美的鑑賞の低級な欧米人の好みにはうまく当てはまっても、日本の眼のある好者には、これを尊べと言われても甚だ迷惑物なのである。

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