本文へ移動
TORENDIA

紅梅の客

本文約7,500字 ・ 読了時間 約16分

あらすじ(AIが作成しました)

庭に植えられた真紅の紅梅を眺めながら、かつて遊興と煩悩芸術が息づいた吉原の思い出を綴る。著者自身の過去の交流や、吉原の女たちが戦後を逞しく生き抜く姿、そして晩年の文人たちが再び廓の面影を求めて集った出来事などを回想する。現代において吉原は失われたが、庭の梅の変わらぬ赤色や人々の記憶の中に、かつて江戸文化と結合していた独特の気質や情愛が今なお重なり合っていることを描き出す。

吉川英治

速度
🎧 紅梅の客 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 10

ひとくちに紅くさえあれば紅梅といっているが、あの紅さもいろいろである。ほんとの真紅はまったく少い。かなり紅いのでも花の顔を覗くと中はほの白くて、遠目にするとそれが淡紅に見えてしまう。しかし真の紅梅であれば色はただの緋というよりも黒緋にちかく、花芯のシベも胡麻ツブのもっと可憐なものに似ている。そしてまた枝を剪ってみると、樹皮下の木目までが、まるで梅酢で漬けた紅生姜か何ぞのようにしんのしんまでほの紅い。

薄紅梅も薄さによっては悪くないが、春さきの木隠れに、あの黒緋とも見えまた陽に映えるとその鮮紅を艶めいてみせるようなのが――それも決して大樹でなく姿は屈み腰の女ぐらいなとこが恰好だが――町の庭には一本欲しいものと、かねがね願っていたところ、いぜん疎開していた吉野村の青年が、はからずもこんなのがありましたがと、つい数日前、わざわざ花のついたのを持って来てくれて、書斎の庭前に植えてくれた。聞けば、花のついてるときが、移植にはいちばんいいのだそうである。

ゆうべ夜半に春雷があって、雹やら風が雨戸を打った。だが心配していた緋紅梅は今日もなおその妍や香いを失っていず、机仕事の私のほうへ折々ものを言いたげな容子にみえる。

それで思いだしてきた。むかし廓の吉原にはこんなひとが居た気がする。それが誰かは考えついてこないが、しんそこ、花のしんまで真紅な女が稀れにかえってあんな泥の中には咲いていたのだった。私はなにも私の放蕩流連をきわめた若い日を恋わんがために紅梅を欲しがっていたわけではないが、春日の小庭の梅がしきりと話しかけてくるのである。あの人と彼の花魁と、あの友人とかの女と、いろんなことがそこではあった。おもしろかった。新内流し、仲の町のぞめき、格子先の影絵のような男たち、そんな夜景の霧に濡れて、まい晩三、四の友達とただ一ト回り歩いて帰るだけでもたのしかった。

吉川英治の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本