舌のすさび
本文約3,500字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
舌のすさびは、著者が料亭のような洗練された料理よりも、幼少期に貧しさの中で母が工夫を凝らした質素な総菜や郷土の味を懐かしむ様子を綴る随筆である。皇居での雑談をきっかけに、高級料理では決して満たされない古き良き味覚への執着や、戦前の下町料理の衰退を惜しむ心情が描かれる。老いた舌がかつての素朴な童味を求める心理を、エピソードを交えながら味わい深く考察し、現代の食生活と自身の食の記憶を対比させる一編。
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あれはもう何年前か。とにかく晩春だった。陛下をかこんでおはなしする会が皇居内の花陰亭でもよおされた。文化人四、五名お招きうけてである。――その雑談中のことであったが
『陛下。陛下はマル干シを召上がったことがおありですか』と獅子文六がきいた。『マル干シ?』と陛下はけげんなお顔をなされた。『さあ、どうでしょうな』と、そばから徳川夢声。すこし間をおいて、入江侍従が『おそらく御存知ありますまい』とつけ加えた。味覚の説明はむずかしい。わけてマル干シの味境などをご理解に訴えるなどは至難であるからこの話題はしぜん花が咲くにいたらなかった。ただ獅子文六はちらと『ご不幸だな、やっぱり』と言いたげな顔つきだった。このあと、火野葦平が鰻のはなしをもちだしたが、うなぎについては、われら以上おくわしい。もっとも蒲焼のタレだの味だのという面からではなく、もっぱら、ご専門の生物学のほうから仰っしゃるうなぎであった。
その後秋山徳蔵に会ったとき、このことを言ったら『いやそんなはずはない、ずいぶん広いはんいの物はさしあげている。ただ片手に箸、片手で茶漬茶わんをおいたその指でマル干シの尻尾をつまんで咥えるといったようなマル干シはさし上げていないだけのことだよ』と、弁明していた。なるほどそうであろう。下世話の味はやはりゲテの姿でなければそれ本物とは申されまい。マル干シ二、三尾、チョンチョンと首を切って、きれいな器でもったいらしく出されたって、それが料亭のツキ出しなればこそ、黙ってたべているが、家庭だったら『よしゃアがれ』と、台所へ突っ返したくなってしまう。