親鸞聖人について
本文約15,000字 ・ 読了時間 約30分
あらすじ(AIが作成しました)
親鸞聖人の生涯と、人間が抱える性や闘争本能への苦悩について、講演形式で綴る。叡山での厳しい修行中に抱いた矛盾や葛藤を、聖徳太子の夢告を一筋の光としてどのように昇華させたかを描く。あわせて、宗教的な教義を超えた人間本来の救いや、生きとし生けるものの命のあり方を、自身の深い洞察を交えて論じる。
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先ごろは、親鸞聖人の大遠忌があり、今夜も親鸞聖人についてご関心の深い、またご信仰の深い皆さまのお集まりと思うのでありますが、私はそうした皆さまにお話し申し上げるほどの何も持っていないんです。だのに、かつて小説の上で親鸞を書き、その映画で錦之助君が親鸞をやったりした。あのような小説を物知り顔に書きましたのも、いまにして思えば、若気のあやまちであります……。
小説親鸞や錦之助君の親鸞を見ると、端麗、いかなる九条兼実とその姫君、玉姫の前でも恋しそうな青年に思われますが、まったくはそうではありません。
どんな風ぼうの人かというと、本願寺に、そしてめったに公開されないそうですが、田中一松さんからこの前、大きく拡大した画像を一ついただきましたが、これは「鏡の御影」というものだそうです。聖人がまだ在世七十歳のころ藤原信実の子息の、俗称袴殿といわれる人が、専阿弥陀仏ともいわれた人ですが、この人が七十歳の聖人の前でおうつししているうちに、何かただならぬ異なるものを感じて、絵筆を持ちながら、涙がこぼれて仕方がなかったといい伝えのある画像があります。
これを見ますと、決して端麗柔軟なお方じゃなくて、むしろ筋骨荒く、骨ぶとな、背はさまで高くなかったようですが、その専阿弥陀仏が書きました像などを見ますと、この眉毛の一筋一筋を鮮明に、ピッピッピッとこまやかに書いております。生命力に満ちあふれたというような「お顔」です。
ところで、その親鸞の生まれた時代、あの九十年の生涯の世相は、どんなだったかをみてみましょう。
その没年の弘長二年から数えて聖人が呱々の声をあげた九十年前は承安の三年。平家の終わりごろですね。さしも栄えていた平家もそろそろ終わりごろ。聖人が九歳でしょうか、太政入道清盛も死んでいます。それから得度剃髪九歳までの間に、年号は安元、治承、養和と変わっておりまして、この間に木曾義仲の乱入、やがて平家都落ち、壇の浦、平家一族の没落というような歴史的な事件があります。