親の垢
几帳面な藩邸の中に、たった一人、ひどく目障りな男が、この頃、御用部屋にまごまごしている。
彼は、俗にいう、ずんぐりむッくりな体格で、年は廿六、七歳だった。若いくせにいつも襟元がうす汚い。袴の紐もよく締まって居ないと見えて、後下がりに摺ッこけている時が多い。
『オイ、数右衛門』
と、呼ぶと、
『ウウム』
と、体ぐるみ廻して振向くと云ったような鈍重漢である。すこし猪首のせいであろうが、そのくせ人を見る眼は、ぎょろりと一癖あるので、そう小馬鹿にも扱い難い。
従って、彼にはまだ友達ができない。尊敬する気にはなれないし、顎で使うには厄介なのだ。ここの御用部屋には、馬廻り役とお使番とが雑居していて、相当用事も多いのだが、数右衛門だけは、いつも事務から遊離して、まごついているふうであった。
稀、誰でもいいような使命を当てがうと、平気でずぼらをやるし、又忘れッぽい。とても他家へ立つ使者だの、君側の大事な用向などには遣れたものではない。
だから御用部屋が閑だと彼もほっとするらしい。忙しい時まごまごするのは、彼の責任感がさせるのだった。閑になると、上役や同僚のやっている囲碁を、後に立って懐ろ手で頭越しに覗いて居たりする。
『誰だ、あれは』
兎角、誰にも気になるとみえて、まだ彼を知らない奥向の老臣などでも、よく彼の同僚は訊ねられた。
『は、あれは先頃、お国表の方から江戸詰に転役して参った――不破数右衛門でございます』
そう同僚が答えると、次にはきっと、誰でも同じように頷いて呟いた。
『――道理で、何処となく、浪人くさい男じゃと思ったら、あれが岡野治太夫のせがれか。それでまだ、親の垢が抜けておらぬのじゃな』
浪人ぼね
さむらいの中には、浪人骨という言葉がある。元和慶長頃の粗野な血をそのまま持っていて、元禄という文化時代へ来ても、どうしてもそれが洗練されない――そして平和な社交で奉公人の型に篏らない人間――それを、
(浪人骨のぶとい奴)
と、よく云うのである。
数右衛門がそれだし、彼の親の岡野治太夫が又それだった。豪放不覊な質だったのであろう、もう十数年前に、浅野家を浪人して、頑として、陋巷に貧乏を通して死んだ。