日本名婦伝
本文約8,100字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
小野寺十内は妻の丹女と平穏に暮らしていたが、赤穂藩の騒動を受け急遽お国許へ旅立つ。十内は養子の幸右衛門を伴わせるなど、武士としての覚悟を固め離別する。留守を守る丹女は、死を覚悟した夫や幸右衛門と手紙を通じて歌を交わし、深い信頼で結ばれた絆を示す。やがて十内たちが本懐を遂げて潔く散ると、丹女もまた、静かに人生の幕を閉じるまで、武士の妻としての矜持を貫き通す様子を描く。
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一
思い出もいまは古い、小紋の小切れやら、更紗の襤褸や、赤い縮緬の片袖など、貼板の面には、彼女の丹精が、細々と綴られて、それは貼るそばから、春の陽に乾きかけていた。
「この小紋も、はや二十年ほどになろう。良人の十内様が、江戸詰のおもどりに、長の留守居の褒美ぞと、お土産に買うて下されたもの。性の抜けるほど、よう着た上、解いて頭巾になおしたり、お母様の胴着にもしたり……」
彼女は何かを楽しむように、貼り交ぜた小切れの数々をながめていた。十九の頃、いまの良人の十内に嫁いだときの物すらある。小野寺家の新妻として、まだ客にも羞恥うていた時分の自分のすがたなど、思い出されて来る。
「おや、お母様。ほほほほ、お縁側から落ちるといけませんよ。御退屈なさいましたか」
庭さきから、ふと、陽あたりのよい小書院の縁をふり顧って、丹女はあわてて、そこにいる老母のそばへ、起しに行った。
良人の老母は、ことしもう九十であった。――嫁よ、嫁よ、と呼ばれている丹女ですら、十内と添ってから三十余年、五十をすこし越えていた。
(わたくしが貼物をしているあいだ、ここのお蒲団にすわって、お花見をしておいで遊ばせ。東山や清水のあたりの山桜が、ここからちょうどよく眺められますから)
と、子をあやすように、老母の退屈をなだめて、茶や菓子なども、その側へおいて、時々、庭さきと縁側とで、話しながら貼物をしていたのであったが、いつか老母は、快げにそこで居眠りをしていたのだった。
眼をさますと、老母は、わけもなく笑って、
「嫁女、十内はまだ帰りませぬか」
と、訊ねた。
「まだ、お戻りになりませぬが」
と彼女が答えると、
「今朝にかぎって、朝餉もひとりで済ませ、どこへ行ったのであろ? ……あの子は」
と、つぶやいた。
九十の母から、いまもって、あの子はあの子はと呼ばれている丹女の良人は――小野寺十内といい、赤穂の臣で百五十石、現職は京都留守役、年はことし五十九であった。
二