TRENDIA CLASSIC

梅里先生行状記

吉川英治

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恋すちょう……

二月の風は水洟をそそる。この地方はまだ春も浅い。ひろい畑は吹きさらしている。

昼まになっても、日かげの霜ばしらは、棘々とたったままだし、遠山のひだには、まだある雪が薙刀のように光っていた。

「麦踏め、麦踏め。――芽をふめ、芽をふめ、芽をふめ」

畑のなかで独り言が聞える。寒さと風に対抗しながら、それはだんだん大声となった。麦畑で、麦を踏んでいる老人の唇からである。

むこうの方でも、ふたり程、鍬をもって麦の畝をすいていた。

「老公か。……あのお声は」

ひとりがひとりへふり向くと、鍬の手をやすめ合って、

「はははは。そうらしいな。寒さを克服なさるため、足拍子にあわせて、書物のうちのお好きな辞句でも、吟誦していらっしゃるのであろう」

「いや。……」と、ひとりは耳たぶへ手をあてがいながら、

「麦ふめ麦ふめ。芽をふめ芽をふめ。と聞えるが」

するとすぐそれは聞えなくなって、彼方にいる老百姓が、麦踏みをやめてしまい、こっちを見ているふうである。胸にまでかかりそうな白い髯が、風のなかに著しく光って見える。

「おううい」

やがて聞えてくる声に、ふたりはあわてて鍬の柄を持ちかえ、

「あ。呼んでいらっしゃる」

何はさておきと、駈けだして行った。

「お召でしたか」

ひざまずいた膝のつきよう、横においた鍬のおきよう、ただの農夫ではあり得ない。

主従ともに野良着はつけているが、老百姓のほうなど、なおさらそれに見えなかった。寒かぜに赤くひき緊っている顔は、どこか大人の相をそなえ、大きくて高い鼻ばしらから顎にかけての白髯も雪の眉も、為によけい美しくさえあった。

「林助、悦之進」

「はいっ」

「あさっては、月並の汁講の日になるの」

「左様でございます」

「今月はわしが宅をする当番であったな。みな集まって参ろうな」

「みな楽しみにしております」

「皿、杯などの数が足るまい」

「どういうご趣向にあそばしますか、お小納戸の剣持与平なども、お支度に気をもんでおりましたが」

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