本文へ移動
TORENDIA

菊岡久利著「貧時交」

本文約580字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

中原中也が菊岡久利の詩集について綴る書評。詩の豊富さとセンチメンタリズムに陥らない構成を評価し、序文にある惑乱を防ぐ克己という特質を認めつつ、記憶の描写における一貫性を指摘する。一方で、詩性を高めるためのさらなる凝集と簡潔さを求め、事象に対する個人的興味が詩の迫力を散漫にしている点を論じる。本書に対する賞賛と今後の創作への注文をまとめた内容である。

中原中也

👁 1 ビュー
速度
🎧 菊岡久利著「貧時交」 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 1

私自身とは、詩に於けるたてまへも大分相違してゐるにも拘らず、私は此の詩集を、気持よく読んだことを告白しなければならない。先づ第一に、是等の詩を書いた人は豊富である。従つてセンチメンタリズムに堕することからあぶない所で脱かれてゐる。

此の事は強調すべき必要がある。何故なら詩性に乏しい現今は、兎角、あまりに貧弱なモチーフを取上げることから、多くの詩が妙な複雑に堕しがちである。これは云ふまでもなくセンチメンタルであることに他ならない。

横光氏が此の詩集の序に「惑乱を防ぐ克己」を以て此の詩人の特質としてをられることには意義がある。菊岡久利の詩が、記憶を可なり無雑作に書き付けてゐる場合にも、猶一貫した流れを見せる所以のものは、彼のその克己が、彼の遠近法を乱すことがないからである。

扨、此の上私が彼に期待したいことは、簡潔にいふことである。但しその簡潔とは、原稿紙に臨んでからのことであるよりも、寧ろそれ以前の、凝集を謂つてゐるのである。彼がこのことに意を用ゐて呉れゝば、彼の詩は今後もつと迫力を持つこととならう。言換れば、彼の詩には猶事象そのことに対個人的な興味――結局これは詩に於ては散文に於けるよりも一層散文的なものとして留るもの――があつて、それが詩性を少しく散漫にしてゐると思ふのである。

右匆々乍ら此の詩人への讃美と註文とである。

(一九三六、一、二八)

完

中原中也の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本