TRENDIA CLASSIC

剣の四君子

吉川英治

1 / 46

草廬の剣

新介は、その年、十六歳であった。

大和国神戸ノ庄、小柳生城の主、柳生美作守家厳の嫡男として生れ、産れ落ちた嬰児の時から、体はあまり丈夫なほうでなかった。

母なる人が、青梅の実にあたって、月盈たぬうちに早産したせいだとか。――いわゆる月足らずの子であったとみえる。

「戦に出たい。戦に連れて行って下さい」

彼も、武門の子である。合戦のあるたび父にせがんだ。

が、父の家厳は、

「そちのような弱い肉体では、戦いに出ても物の役に立たぬ。柳生の一族は、病弱な子まで狩り出したと、敵方に笑われよう。――そういう望みは断って、むしろそちは僧侶になれ、学問をしておけ。柳生家の累代、戦に次ぐ戦に、代々何十名の戦死者があったか数も知れぬほどだ。そちの兄、康太郎も二上山の合戦に討死した。叔父御もおととしの出陣から帰らなかった。……のう、そういう人々の霊を弔うべく、僧門に入るのも意義のないことではない。そちの体の生れつきひよわいのは、一族の中から一子はそれに捧げよとの、仏天のおいいつけかも知れないのだ。宿命というものである。いらざる憂悶は抱かぬがよい」

と、懇に諭すのであった。

「…………」

新介は、黙って聞いているが、いつも涙をこぼした。顔を横に振るたび、その顔から涙が飛んだ。

「わからぬやつ! 女のくさったようなやつ! 嫌いだっ、あっちへ退がれっ」

果ては、その涙へ、恐い顔を示して、家厳は大喝した。

それも、父性の大愛から迸る声以外なものではない。

ところが。

ことし天文十三年の七月には、その父が好むと好まないに関わらず――子が望むと望まないに関わらず――否応のない戦火が、柳生父子を、一つ戦場に捲き落した。

連年、鎬を削りあってきた宿敵、大和の筒井栄舜房法印順昭が麾下二十万石の領土の精兵を、挙げて、この小柳生ノ庄のわずか七千石足らずの小城ひとつを、取巻いて、

「三日のうちに踏みつぶして見せる」

と、豪語し、そこの山上山下、野も畑も部落も、兵馬に埋めてしまったのである。

新介は、こうした危急が、わが家の石垣の下まで迫ったのを眺めやると、

「もう父もお叱りはなさるまい」

吉川英治の他の作品