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TORENDIA

望岳都東京

本文約30,500字 ・ 読了時間 約62分

あらすじ(AIが作成しました)

天城山から浅間山、日光の山々に至るまで、東京から望むことのできる山岳の眺望を論じる。かつて江戸城の静勝軒から富士や秩父の嶺を眺めた歴史的背景に触れつつ、現在の大気条件や煤煙の影響下で山々を識別する困難さを解説する。著者は自身の観察経験に基づき、山肌の襞や影を見極めるための条件や心構えを綴り、都会の喧騒の中で自然と向き合うことの意義と、その発見の喜びを伝える一編である。

木暮理太郎

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天城山より笠山まで

むかし太田道灌が始めて江戸城を築いた時、城上に間燕の室を置て之を静勝軒と名付け、東は江戸湾を望み西は富士秩父の連嶺を軒端に眺めた所から、東を泊船亭と曰い西を含雪斎と曰うたとのことである。静勝軒を題として記述した詩文に、「西嶺当レ雪界レ天」、又は「西望則逾二原野一而雪嶺界レ天」とある句は、蓋し実景をよんだもので、雪嶺或は西嶺は富士山を指したものに外なるまい。道灌は風流二千石といわれた程あって、歌も上手によみ、扇谷の老臣として軍旅に忙しい身でありながら、よくこの静勝軒で歌合や連歌の会などを催した。元より泊船亭や含雪斎の名は、「含二西嶺千秋雪一、門泊二東呉万里船一」という詩句から取ったものであろうが、当時の江戸城は今の宮城内に在る元の本丸の地であったということであるから、眺望の広闊なることは言う迄もないことで、富士は更なり遠い赤石山脈の悪沢岳や荒川岳(塩見岳)の七月上旬に於ける残雪は、恐らく含雪斎の主人公をして、西嶺千秋雪の感を深からしめたことであろうと思う。

我庵は松原つつき海近く富士の高根を軒端にそ見る

という歌は、静勝軒の大展望観の一部を歌ったものに過ぎないとしても、江戸城の創建者が其処から見られる山に対して可なりの注意を払ったであろうことが想像されるのである。

道灌が江戸城を築いた頃は、月の入る可き隈もなしと歌われた通り、武蔵野は一望曠漠たる茅原か又は雑木林で、展望を遮る高い建物や、石炭の煙などは皆無であったから、静勝軒からは居ながらにして、いつも(恐らく)山を望むことが出来たであろう。併し今の東京となってからは、そうは行かなくなった。殊に彼の煤煙は最も邪魔物であるから、少くとも東京から山を望むには、空気が乾燥して透明である冬季の晴れた日という一般的条件の外に、煤煙を一掃する為に可なり強い風が吹くという条件を伴う必要が生じて来た。其風も北西の風でないと好適とはいえないのである。若し是等の条件が一つでも欠けて居れば、雪嶺天を界する壮観は到底望まれないものと思って誤りはない。

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