TRENDIA CLASSIC

日本名婦伝

吉川英治

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寧子は十六になった。

妹の於ややと二人して、伯父伯母にあたる浅野家に養われて来た。ふたり共、養女なのである。

世間は知らなかった。それほど、浅野又右衛門夫婦の愛は、世の親たちと変りなかった。

十六というと、寧子も人知れず、「女の先」を考え始めた。時代は早婚の風である。もう他から結婚のはなしがいろいろ持込まれるのであった。

その数々の縁談のくちで、親たちの眼に選り残されているのは、もちろん皆、尾張清洲の織田家中ではあるが、とりわけ、

藩の侍頭大学信盛の舎弟、佐久間左京

信長の小姓組、前田犬千代

槍組衆の河尻与兵衛

足軽三十人持、御小人組小頭木下藤吉郎

――などの四名が候補になっていた。各に特長もあり理由もあって、

「急ぐこともないから、よう生涯を考えて――」と、寧子にも告げて、宿題の予日をのこし、親たちも先方へ、まだはっきり返辞をしない程度になっていた。

四人の候補のうちで、最も身分の高いのは、佐久間左京であった。兄大学信盛は、愛知郡山崎で、出城とはいえ、一ヵ城の城持ちであり、左京も織田家では、重要な地位を占め、主君のおおぼえもよかった。年齢は二十三歳とかいう。

「申し分はないが、何せい、こちらは弓之衆の長屋住い、身分がちがいすぎる」

と、又右衛門夫婦は、その点で迷っていた。

総じて、尾張半国の小藩にすぎない織田家は、君臣ともに、質素で財力も乏しかったが、わけて浅野又右衛門は、小禄な弓組の一家士でしかなかった。

年ごろの娘ふたりに、人なみの教養もさせ、人知れぬ「聟とり」の支度をしておくだに、なかなか容易ではない家計だった。

その点では、

家庭へもよく遊びに来て、気心もおけないし、先の人がらも素姓も知れている前田犬千代は、

「寧子も、嫌ではないらしい」

と考えられて、親たち自身の心もだいぶ傾いていた。

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