黒石・白石
ぜひもなく秀吉もまた、軍をかえして、楽田へひきあげた。
彼が舌を巻いて嘆じて云った――モチにも網にもかからない家康と、またふたたび、小牧において、にらみあいの対峙をつづけるほかなかった。
こうして、長久手の一戦は、池田勝入父子のあせりに大きな敗因があったにしても、秀吉にとって、重大な黒星であったことは、いなみ得ない。
だが。
こんどに限っては、終始、秀吉のほうが何となく、その序戦の前からすべてに立ち後れをとっていたのも事実である。
それは、秀吉が、戦場における家康を見て、初めて、モチにも網にもかからない男だと知ったのでなく、戦わざるうちから、家康の何者なるかを、熟知していたためだった。
いわば、達人と達人、横綱対横綱の、立ちあがりにも似ていた。
(途中の小城に目をくるるなよ。道くさすなよ)
と、あれほど、出撃のさいに秀吉が勝入へいっておいたにもかかわらず、勝入が、岩崎城の城兵から挑まれて、一もみになどと踏みつぶしにかかったことも、帰するところ、勝入の人物が、それだけの器だったというほかはない。
器――
こればかりは、生れついた量を、急に、大きくさせようとしても、どうにもならぬ。
家康も器。秀吉もひとつの器――。この対照が、このいくさを、決定する。
長久手の総くずれを聞いたとき、秀吉は、実は、しめたと、手にツバしたほどだった。家康が、かたい殻を出たので、勝入父子の討死こそ、家康を生け捕る好餌になったぞ――と思ったからであった。
ところが、敵は、火のごとく出て、風のごとく去り、去るや林のごとく、また小牧へ退いては、泰然と、前にもまさる山岳の重きを見せてうごかない。
秀吉は、脱兎を逃した感じだった。だが、かれはみずからなぐさめた。
「ちょっとした指の怪我ではあったよ」と。
たしかに、かれの兵力と物質上には、大した損害でなかったにちがいない。しかし、精神的には、家康の陣営をして、
「猿面公。いかがでおざる」
と、いわぬばかりな凱歌のほこりを揚げさせた。
いや、この黒星は、その以後の長い――秀吉と家康とのあいだにかかる交渉と、両者の心理に、生涯なんとなく、胸のうちに継続していた。
しかし、家康もまた、