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TORENDIA

性格と表情

本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

映画俳優の演技において、単なる表情のうまさや感情表現は重要ではなく、内面にある性格をいかに表現するかが不可欠であると論じる。表情を自在に動かすことよりも、感情をいかに抑えるかという監督としての演出方針を説き、ジョン・フォードやウイリアム・ワイラーの作品に見られる俳優の性格描写を引き合いに出しながら、芸術において人間性がいかに重要であるかを綴る評論である。

小津安二郎

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🎧 性格と表情 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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表情がうまい、というだけでは、いけないと思うんだ。悲しい表情、うれしい表情が巧みに出来る――つまり顔面筋肉の動きが自由自在だ、というだけではダメ、それならヤサシイと思うんだ。

いまの、日本の映画俳優は、表情は決して乏しくないヨ。日本人は無表情だとよく言うけども少くとも、俳優の場合は、アメリカ人にくらべて表情は乏しくないと思うんだ。表情がうまいから、上手な役者だとは、言えない。表情のうまい、まずいは、おれに言わせれば問題じやないと思うんだ。

大事なのは性格だな。性格をつかむことだと思うんだ。性格をつかんだ上で、感情を出すんでなければダメだと思う。性格をつかめないで、ただ感情を出そうとするから、表情だけうまい役者が出来る。悲しいから泣く、おかしいから笑うだけなら、映画俳優でなくても、だれでも出来る。泣いたり、笑つたりの感情表現は、せいぜい三、四割で十分だと思うんだ。

監督は、俳優に感情を出させるんじやなく、いかに感情をおさえるかだヨ。「長屋紳士録」のかアやんかい――あれはね、お蝶さんがおれの注文を飲込みすぎていた傾向があつた。それに、従来のかアやんの性格から、より以上に飛躍したものを意図してもいなかつたんだ。

性格とは何かというと――つまり人間だな。人間が出てこなければダメだ。これはあらゆる芸術の宿命だと思うんだ。感情が出せても、人間が出なければいけない。表情が百パーセントに出せても、性格表現は出来ない。極端にいえば、むしろ表情は、性格表現のジャマになるといえると思うんだ。

おさえることだな。いかにして、おさえにおさえて、性格を表現するか――監督の仕事はここにあると思うんだ。「荒野の決闘」のヘンリー・フォンダが、床屋で香水をつけて来て、ヌーツと立つている――あれだな、ジョン・フォードのえらいのは。フォンダが柱にあしを突つぱつて、椅子の上にノケぞつて、ウフンといつてる。あのヘンリー・フォンダとジョン・フォードの気合いは、実際、うらやましいと思うな。「荒野の決闘」だけじやない、ジョン・フォード作品のヘンリー・フォンダはいつもいい。「怒りの葡萄」でも、「ヤング・ミスター・リンカン」でも。

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