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TORENDIA

広島の牧歌

本文約1,800字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

鶴見橋の伝説や管弦祭の賑わい、比治山の要塞、古風な路地裏の風景など、かつての広島の街並みを記憶を辿りながら描写する。作者は、幼少期の子供らしい安定感に満ちた広島の日常を振り返り、郷里の牧歌的な風景を書き残そうと試みる。同時に、後に受けた原爆の衝撃を経て、無からの出発を強いられる魂のあり方を綴る随筆である。

原民喜

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🎧 広島の牧歌 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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鶴見橋といふ名前があるからには、比治山に鶴が舞っていたのだらう。私の亡父はその舞っている鶴を見たことがあるといふ。

比治山の鶴が飛んだ ビンロイ  と、箸ですくった茶碗の御飯を幼児の口にあてがってやる、おどけた習慣は今も広島の女に残っていることだらうか。比治山には要塞があった〔。〕大砲が松の間に隠されて、海の方を覘ってゐた。県師の附小生だった私は、学校の帰りによくこの山に登ったものだ〔。〕

戦争末期に戸籍抄本のことで、この山腹の頼山陽文徳殿に疎開した市の戸籍課を訪ねたことがある。露天に机が並べてあるところで、でんでに戸籍簿を借りて自分で書き、それから判を窓口で押してもらえばいいのだった。机の隣にゐる男が「ええと、今年は昭和何年でしたかしら」と私に訊ねる。原爆より四ヶ月前のことで、建物のまはりには桜が満開だった。

昔、管弦祭の夜には京橋の明神の浜に、おとぼん船がやって来た。橋の上にはぞろぞろと人が犇めきあって、船の上で行はれる十二神伎を見てゐる。かがり火が水に映り、衣裳の金絲銀絲が火に照らされて―それを見てゐると子供の私には、これはまるで幻夢の世界だった。幻夢といへば子供のとき、浅野三百年祭の催しに、四十七士が討入の装束で自転車に乗って往来を走って行ったのも憶い出す。まだ乗合馬車が街を走っていた頃のことで、流川のあたりには藁葺の家があったり溝が流れていた。

本通のつきあたりに、思ひきり大きな看板があった。女の顔が描いてあった。それと角の菓子屋に、大きな張子の虎がゐた。この二つは子供心に大きなものとして刻印されていた。あるとき、明治堂といふ菓子屋の店さきで、小僧がはたきをかけながら「人生ぢゃ、人生ぢゃ、人生ぢゃのう」とわめいてゐるのを見て私の友人はけらけら笑ったものだ。人生という言葉が侵入して来たのは大正七、八年の頃からであらう。積善館や友田書店の棚には、新刊の詩集があって、それがともかく売れてゐた時代もあった。

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