幻燈係
本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
アメリカの研究機関に滞在する日本の若い大学教授P君が、主任教授から幻燈係という思いがけない役割を押し付けられる。身分意識との葛藤の中で任務を果たした後、今度は主任教授が自ら幻燈係を引き受けるという対照的な体験をする。文化や習慣の違いから生じる誤解と、相互理解の重要性について考察し、対話による問題解決の可能性を説く随筆である。
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日本のある大學の若い教授P君が、アメリカの某所へ、研究員として暫く來ていた。そこの主任教授は、そう世界的な大學者というほどでもなかったが、何分こっちは餘所者なので、神妙に控えて、勉強していたそうである。
しかし、何分、P君は既に、日本では大學教授として、たくさんの助手たちをもっていたのに、アメリカに來ると、何から何まで自分でしなければならない。それに言葉も不自由なので、何となく冷遇されているような氣がして、居心地はそう良くなかった。
ある時、そこで研究發表會があった。そして、その主任教授が講演をして、そのあとこのP君も、自分の日本でやっていた研究を發表することになった。
アメリカのこの種の講演は、たいてい幻燈を使うので、この主任教授もたくさん幻燈を用意していた。そしていよいよ講演という時になったら、幻燈板を一とまとめにしてP君に渡し、これをこの順序で映寫してくれといったそうである。
幻燈係などというものは、日本では、助手の一番若い男か、給仕ぐらいがやるものと思い込んでいたP君は、少しムッとしたそうである。普段から何となく「日本の大學教授」を無視しているらしい、という下地があったので、無理もないことである。
しかし、ここが我慢のしどころと、胸をさすって、この「屈辱的」な任務を果たした。そして努めて何氣ない顏をして、次の自分の講演にとりかかろうとしたら、その主任教授が「P君、君の幻燈板はどこにあるの?寄こし給え」といって、受けとって、さっさと幻燈機のところに行ったそうである。
アメリカでは、手近なことで、人の手助けをするのが、常識になっているので、こういうことをするのが、當り前のことなのである。正直者のP君は「あの時は、本當に自分でも恥かしいと思いました。神妙に幻燈係をつとめておいてよかったですよ」と告白していた。
國がちがうと、習慣はもとより、ものの考え方までが、表面上は著しくちがっているので、とかく誤解が起き易い。P君の場合でも、もしこの後半の場面がなくて、前半だけを經驗して歸國したら、まるでちがったアメリカ觀を、ひょっとしたら一生もちつづけるかもしれない。