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TORENDIA

お時儀

本文約4,000字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

避暑地の停車場で顔馴染みとなった銀鼠の服を纏う少女に、ある曇天の午後、思わず反射的にお時儀をしてしまった堀川保吉。突然の出来事に困惑した少女との気まずさを抱えながらも、翌朝のプラットフォオムで再び遭遇した際に、保吉はまたしてもお時儀をしたいという衝動に駆られる。過去の記憶を辿りながら、日常の中にふと立ち上がる淡い期待と、その後に訪れる薄明るい憂鬱な心境を、ある青年の一情景を通して描き出す。

芥川龍之介

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🎧 お時儀 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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保吉は三十になったばかりである。その上あらゆる売文業者のように、目まぐるしい生活を営んでいる。だから「明日」は考えても「昨日」は滅多に考えない。しかし往来を歩いていたり、原稿用紙に向っていたり、電車に乗っていたりする間にふと過去の一情景を鮮かに思い浮べることがある。それは従来の経験によると、たいてい嗅覚の刺戟から聯想を生ずる結果らしい。そのまた嗅覚の刺戟なるものも都会に住んでいる悲しさには悪臭と呼ばれる匂ばかりである。たとえば汽車の煤煙の匂は何人も嗅ぎたいと思うはずはない。けれどもあるお嬢さんの記憶、――五六年前に顔を合せたあるお嬢さんの記憶などはあの匂を嗅ぎさえすれば、煙突から迸る火花のようにたちまちよみがえって来るのである。

このお嬢さんに遇ったのはある避暑地の停車場である。あるいはもっと厳密に云えば、あの停車場のプラットフォオムである。当時その避暑地に住んでいた彼は、雨が降っても、風が吹いても、午前は八時発の下り列車に乗り、午後は四時二十分着の上り列車を降りるのを常としていた。なぜまた毎日汽車に乗ったかと云えば、――そんなことは何でも差支えない。しかし毎日汽車になど乗れば、一ダズンくらいの顔馴染みはたちまちの内に出来てしまう。お嬢さんもその中の一人である。けれども午後には七草から三月の二十何日かまで、一度も遇ったと云う記憶はない。午前もお嬢さんの乗る汽車は保吉には縁のない上り列車である。

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