旗本退屈男
本文約19,300字 ・ 読了時間 約39分
あらすじ(AIが作成しました)
元禄の江戸、吉原で四人の侍に因縁をつけられ困り果てる若衆を目撃した旗本・早乙女主水之介は、悠然と現れその場を収める。世の中の退屈を紛らわせることを身上とする主水之介は、妹の菊路から告げられた、ある高貴な人物が行方知れずになったという報に接する。不穏な気配の中で主水之介は、持ち前の胆力と剣の奥義を武器に、京弥という若者を救い出し、愛妹の元へと連れ帰る。ここから小気味よい退屈男の物語が本格的に動き出す。
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一
――時刻は宵の五ツ前。
――場所は吉原仲之町。
それも江戸の泰平が今絶頂という元禄さ中の仲之町の、ちらりほらりと花の便りが、きのう今日あたりから立ちそめかけた春の宵の五ツ前でしたから、無論嫖客は出盛り時です。
だのに突如として色里に野暮な叫び声があがりました。
「待て、待て、待たぬかッ。うぬも二本差しなら、売られた喧嘩を買わずに、逃げて帰る卑怯者があるかッ。さ! 抜けッ、抜けッ。抜かぬかッ」
それもどうやら四十過ぎた分別盛りらしいのを筆頭に、何れも肩のいかつい二本差しが四人して、たったひとりを追いかけながら、無理無体に野暮な喧嘩を仕掛けているらしい様子でしたから、どう見てもあまりぞっとしない話でしたが、売られた方ももうそうなったならば、いっそ男らしく抜けばいいのにと思われるのに、よくよく見るとこれが無理もないことでした。――年はよくとって十八か九、どこか名のあるお大名の小姓勤めでもしているとみえて、普通ならばもうとっくに元服していなければならない年頃と思われるのに、まだふっさりとした前髪立ちの若衆なのです。
だからというわけでもあるまいが、なにしろ一方は見るからに剣豪らしいのが、それも四人連れでしたので、どう間違ったにしても不覚を取る気遣いはないという自信があったものか、中でも一番人を斬りたくてうずついているらしいのが、最初に追っかけて来た四十侍に代り合って若衆髷の帰路を遮断すると、もう柄頭に手をかけながら、口汚なく挑みかかりました。
「生ッ白い面しやがって、やさしいばかりが能じゃないぞッ。さ、抜けッ、抜かぬかッ」
可哀そうに若衆は、垣間見ただけでも身の内が、ぼッと熱くなる程な容色を持っているというのに、こういう野暮天な人斬り亡者共にかかっては、折角稀れな美貌も一向役に立たぬとみえて、口汚なく罵しられるのをじっと忍びながら、ひたすらに詑びるのでした。
「相済みませぬ。相済みませぬ。先を急がねばなりませぬゆえ、お許しなされて下さりませ。もうお許しなされて下さりませ」
「何だとッ? では、貴様どうあっても抜かぬつもりかッ」
「はっ、抜くすべも存じませぬゆえ、もうお目こぼし下されませ」